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  1. 普遍的リスク対策 乙守栄一
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第106回 自分自身を第三者的に観る本質

 時として、自分とは何者か、何故この世に生まれてきたのかと疑問を持つ方も少なくないと思われます。何かしらの使命を持ってこの世に生まれてきた、その使命とは年月が経てば経つほど見えなくなってしまうとも云われます。人生において、煩悩に晒され、無垢さが消えてしまうゆえの現象かもしれません。

 私自身はコンサルタントという立ち位置で仕事をしています。コンサルティングという枠組みを通して、私の果たすべき使命がその中に隠れているのではないかという直感もあり、今までこの仕事を続けてきました。人生十色とはよく言ったもので、多かれ少なかれ、艱難辛苦、七転八倒、様々な経験をしてきました。藻掻き、足掻き、時として正論を盾に戦うこともしてきました。当時、そこに打ち克てなかった自分が存在し、世の中道理が通らないのは何故か、自問自答しながらも解が見いだせないやるせなさを味わってきました。

 理屈だけでは通らない、それこそ矛盾にまみれた環境下を如何に生き抜くか、その真意がどこにあるのか、自分自身に問われてきます。当然、自分自身のフィルターを通した先の脳裏にも矛盾を感じてしまうでしょう。その矛盾の度合がストレスとなって、自分自身が見せる様々な感情が心の起伏となって様々な症状となって現れてきます。そこに皆さんも苦しみ、もがきながら生きているのではないでしょうか。

 ここに「自分」という捉え方を再定義することで、幾ばくかの気持ちの安堵が得られるのではないかと仮説を立てるに至りました。

 「意識」に目を向けたとき、何十年と積み上げてきた人生の経験値から、自分が良しとする判断軸が誰しも備わっています。その判断軸に沿った引力が時として強すぎる場合、 “拘り”や“固執”、“信念”として外面に現れます。状況により柔軟にこの引力を弱めてあげることができれば、苦しみから解放されることとなります。

 その根底を動かしているものは何でしょうか。故村上和雄博士の解かれる、サムシンググレイトと言われれば、勘の鋭い方ならば想像は付くかもしれません。自分は、目に見えない何かにいつもコントロールされている、そのコントロールする相手は複数存在しますが、そのコントロールする相手を自由に選ぶことができれば、すなわち自分の固執を生む相手を選ばなければ拘りから解放されるというものです。その結果、自分のコントローラーは自分ではなく、目に見えない第三者に制御権があるとした場合、そこに委ねる(身を任せる)ことで、ずいぶん気持ちが解放されるのではないでしょうか。この第三者がどういう存在か、常に矛盾から逃れる指示を与えてくれる存在があるとした場合、自分を追い込むこともありません。流れに身を任せるという表現もピッタリ当てはまります。この存在が与える判断軸を正とした場合、そこに自分という判断軸を入れてしまうことで時として大きくベクトルがずれてしまう、それが苦しみを産み出す素となっていると考えると整理が付けられるかと考えます。

 自分を客観視する、すなわち自分自身を点検する監査人的な役回りと云えるかもしれません。この客観視こそ、第三者的な観点で自分を観ることに他なりません。そのベースとなる基準は何でしょうか?それは敢えて、良いか悪いか、正しいか正しくないか、+か-かという対極的な物事の観方ではありません。ただ、一つ言えることは、使命を担ってきていることの唯一の共通項、自己中心的ではなく、生きている人すべてがうれしい、たのしい、まるでオーケストラの演奏家と聴衆が一体となって共鳴、共感し合うような心境を追求することになるのではないでしょうか。下手なエゴや欲望、権力誇示、争い、諍いといった邪悪な心象に冒されない自分自身を保ち、それが自分自身を第三者的に観るポイントになります。人は絶対的な存在ではないと認めることでも、気持ちを楽にすることができます。皆さんの心境は如何でしょうか。

株式会社シー・クレド
代表取締役 乙守 栄一

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