私は仕事柄、長い間「思う」よりも「考える」という言葉を意識して使ってきた。
「私はこう思います」ではなく、「私はこう考えます」と。
コンサルティングの仕事では、FACTを集め、比較し、根拠を示し、論理を積み重ねて結論を導くことが求められる。「思う」と言えば主観的で、「考える」と言えば論理的である。そんな区別を、いつの間にか自分の中で作ってしまっていた。
しかし最近、本当に「思う」とは、根拠の乏しい心の動きなのだろうか、と考えるようになった。
「思」という漢字を遡ると興味深い。「思」の上部は現在では「田」と書くが、その原形を頭部を表す「囟」とみて、「心」と組み合わせ、頭と心を働かせることを表したとする字源解釈がある。
そう考えると、「思う」は感情だけの営みではない。
人間がこれまで見て、聞いて、感じ、学び、経験してきたことが頭と心の双方で交わり、そこから何かが生まれる。その最初の働きこそ「思う」なのではないだろうか。
例えば、長年仕事をしている人が資料を一目見て、「何かおかしい」と思うことがある。
その瞬間、理由を説明できないこともある。しかし、本当に根拠がないのだろうか。
過去に見た何百という資料、成功と失敗、顧客との会話、数字の動き、違和感を覚えた経験。それらが蓄積され、普段は意識の下に沈んでいる。そして新しい出来事に触れた瞬間、その総和が「何かおかしい」という形で浮かび上がる。
それを私たちは「直感」と呼んでいるのかもしれない。
だとすれば、「思う」とは「根拠がない」のではなく、「根拠がまだ言葉になっていない」状態を含むと捉えることができる。
ここでもう一つ、「想う」という言葉を加えてみたい。
「想」は「相」と「心」から成る。「相」には姿を見る、ありさまを捉えるといった意味がある。そこから「想」には、対象を心に思い浮かべるという意味が生まれる。
故郷を想う。亡き人を想う。未来を想う。
そこには単なる情報処理とは違う、心の中に「像(イメージ)」を描く働きがある。
この「想う」は、過去だけに向かうものではない。
「こういう社会にしたい」「こんな仕事をしたい」「こういう自分でありたい」。
まだ存在していない未来を心の中に描くことも「想う」である。
すると、「思う」「想う」「考える」は、別々の行為ではなく、一つの大きな循環として捉えられる。
感じる → 思う → 想う → 考える → 言葉にする → 判断する → 行動する → 経験する → 再び感じる。
まず何かを「感じる」。
そこから、これまでの経験の蓄積を背景として「私はこう思う」というものが生まれる。
その思いから、「では、どうありたいのか」「どんな未来をつくりたいのか」という像(イメージ)を描く。これが「想う」である。
そして、その想いを現実と照らし合わせ、「なぜそう思うのか」「どうすれば実現できるのか」と分析する。ここで「考える」が始まる。
考えたことを言葉にし、判断し、行動する。
行動すれば結果が生まれ、それが新しい経験として自分の中に蓄積される。その経験によって、次に何かを感じたときの「思う」も「想う」も、以前とは少し違ったものになる。
人生とは、この循環を何度も回していくことなのかもしれない。
そして私は、この循環がAI時代には一層重要になると考えている。
情報を探す。整理する。比較する。論理的な選択肢をつくる。こうした「考える」のかなりの部分を、AIは急速に担えるようになっている。
だからこそ、人間には別の問いが突きつけられる。
「あなた自身は、どう思うのか」
さらに、
「あなたは、どのような未来を想うのか」
という問いである。
AIは膨大な情報から、もっともらしい答えを提示できる。しかし、自分が何を大切にしたいのか、誰と生きたいのか、どんな仕事をしたいのか、どんな社会を次の世代へ残したいのか。その未来像を引き受けて生きる主体は、最後には人間である。
だから「思う」ことを、もっと大切にしてよいのではないだろうか。
自分の中から湧き上がったものを「単なる感情だから」と切り捨てるのではなく、まず、
「私は、こう思う」
と言葉にしてみる。
そして、
「私は、こうありたいと想う」
と、その先にある像を描いてみる。
そのうえで、
「なぜそう思うのか。どうすればそこへ行けるのか」
と考える。
もちろん、思ったことが常に正しいわけではない。過去の経験から生まれた思いには、思い込みや偏見も入り込む。だからこそ「考える」が必要なのである。
思うだけでもない。
考えるだけでもない。
思い、想い、考える。
この三つを往復させる。
「思う」が、自分の内側に蓄積された経験に耳を澄ませる営みだとすれば、「想う」は、そこからまだ存在しない未来を描く営みである。そして「考える」は、その想いと現実との間に橋を架ける営みだと言える。
そこに行動が加われば、想いは現実と接触する。
成功することもあれば、失敗することもある。しかし、そのすべてが経験として自分の中へ戻り、次の「思う」をつくっていく。
だから、この循環には終わりがない。
感じる。思う。想う。考える。言葉にする。判断する。行動する。経験する。そして、また感じる。
AIが「どうすればよいか」を答えてくれる時代だからこそ、人間には「自分はどう思うのか」「自分は何を想うのか」を持つ力が必要になる。
そして、その心の中の想いを、自分の言葉にして外へ出してみる。
それは単なる感想ではない。
その人が生きてきた時間と、これから生きようとする未来が交わる場所から生まれた言葉である。
「私は、こう思う。そして、こうありたいと想う。」
この言葉を持つこと。
そこから改めて考え、行動し、経験を重ねていくこと。
「正解」をAIが教えてくれる時代だからこそ、この人間らしい循環を失わないことが、これからを生きる一つの術になるのではないか。
私は、そう思う。
株式会社シー・クレド
代表取締役 乙守 栄一