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  1. わが国クレジットカードの歩み 風間眞一
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第3回 カード発展の基礎となった諸々の取り組み

【プラスチックカードの始まり】
手探り状態で始まったわが国のクレジットカード。知識に乏しかった時代に苦労を重ねながらも、その後のカードの発展につながるもろもろの取り組みがあった。そのいくつかを紹介したい。

第1回で記述したとおり、最初に登場したカードは、丸井の紙製「クレジットカード」である。1960年3月に発行されたが、同年8月にはビニール製「クレジットプレート」に切り替えられた。プレートの表面には顧客の住所、氏名、番号がエンボス(凸刻印)されており、これを米国製のインプリンターにかけると、売上げや配送の伝票にそっくり印字でき、記入の手間が省ける画期的なものだった。

同年12月には西武百貨店が百貨店業界で初のプラスチック製自社カードを発行。生カードを作成してエンボスし、カラーティパーで色付けするまで、社内で一貫作業したが、機械器具や素材はすべて米国からの輸入品だった。汎用カードでは、日本ダイナースクラブ(現三井住友トラストクラブ)や日本クレジットビューロー(現JCB)も、早くからプラスチック製カードに着目した。

このうち、日本ダイナースクラブがプラスチックカードの発行を始めるきっかけがとてもユニークだ。当時、世界で使われていたダイナースクラブカードは紙製の手帳型であり、外国人が来日した際、その表紙だけ破って持ってきたり、文字や番号がこすれて見えにくくなったものもあった。これでは日本の加盟店に受け入れてもらえそうにないと考え、駐留軍のIDカードをヒントにプラスチック製を発案。米ダイナースクラブに「日本国内だけで」と許可を求めたところ、「グッドアイディア」となり、61年12月から世界中でプラスチックカードを発行することとなった。

JCBは62年3月、カード素材にプラスチックを導入。デザインが印刷されたセンターコアという特殊な用紙を使い、カード表面に会員のサインと押印を記し、それを2枚の透明プラスチックで挟みラミネート加工した。会員はこのカードを使う際、売上伝票へのサインとともにカードに押されているものと同じ印鑑で押印する必要があった。このため、カードと印鑑を携帯しなければならず、日本ダイナースクラブのサインだけという方式と比べれば不便さは否めず、次第に姿を消していった。

また、JCBはカードサイズを米国のラミネート機械の規格(縦54ミリ、横86ミリ)に合わせた。これが、その後いろいろなカード類のサイズに影響を与える。今日、日本のクレジットカードが海外の加盟店端末やATMで使えるのも、国際規格につながる米国の規格を採用したJCBの選択によるところが大きい。

【キャッシングサービスを開始】
クレジットカードがどのようなものかがわからないなか、手本になったのが米国だ。初期の段階で多くのことを米国に学んだが、日本発のアイディアやわが国独自の取り組みもあった。日本ダイナースクラブが67年9月から始めたクレジットカードでお金を用立てる「キャッシングサービス」(注1)もその一つ。会員ニーズや親銀行の意向を受け、ショッピングがメインのカードに小口の融資機能を加えたものだ。

個人貸付ということでは、日本信用販売(現三菱UFJニコス)が61年4月から始めた「チェーンクレジット」(注2)や62年10月開始の大阪信用販売(現アプラス)の会員向け融資などがあったが、クレジットカードを介在してお金を貸したのは日本ダイナースクラブが世界で初めてだった。ショッピング機能では賄えない多様な資金ニーズを補完するのが本来の役割だったが、そのうちキャッシングの利息収入がカード会社の台所を支えることになる。ちなみに、CD(キャッシュディスペンサー)と磁気ストライプ付きカードを利用したキャッシングサービスの開始は、72年4月の鹿児島信販(後に国内信販、現楽天カード)が最初である。

また、日本ダイナースクラブは69年4月に業界初となるクレジットカード紛失・盗難保険を導入した。米国の保険会社と開発したもので、当初はカード1枚につき100円の掛け金と簡単な手続きで付帯できた。紛失などに気付いた5日前から30日間に起きた事故に、1人36万円までの損害を補償する内容のものだった。

【口座自動引き落としを導入】
一方、JCBはカード利用代金の収納に「銀行預金口座からの自動引き落とし(口座振替)制度」を採用し、61年5月から取り扱った。会員に三和銀行(現三菱UFJ銀行)に口座を開設してもらい、そこから代金を引き落とした。

当時、クーポンを発行していた信販会社は勤務先に頼んで給与天引きで代金を回収していた。月賦百貨店では集金か店頭への持参払いであり、いずれも人手や時間、コストがかかる方法に違いなかった。JCBは当時、電話料金やNHK受信料など公共料金に限られていた口座振替を民間企業で初めて実現したのである。

代金回収に苦慮していた日本ダイナースクラブでも、62年1月から同様の口座振替を導入した。当初は、主に米国式のパーソナルチェック(小切手)による代金決済を行っていたが、小切手支払いは富裕層に限られてしまい、わが国ではなかなか普及しないといった事情があることから、口座振替の実施に結び付いたようだ。

口座振替はすでに一部の大企業や外資系企業で始まっていた「給与振込制度」(注3)の普及とも相まって、会社員が多いカード会員の間でも便利な制度として歓迎された。カード代金の支払いに小切手が使われることの多い米国と異なり、日本独特の口座振替および給与振込制度が、その後のわが国クレジットカードの発展を下支えした車の両輪だったのは間違いない。

いずれにせよ、カード市場の草創期、各社は競い合いながら、さまざまなカードのシステムやノウハウの開発にしのぎを削った。さはあれ、現金志向が強いわが国の消費者にカードの利便性や安全・安心をアピールする業界の努力はまだまだ始まったばかりである。

(注)
1 キャッシングとは、日本ダイナースクラブが考えた和製英語。正式には、キャッシュ・アドバンス・サービス。
2 日本信販が保証した会員に提携する信用金庫が無担保で融資し、会員は割賦返済した。
3 毎月の給与や賞与などを事業者の振替口座から、従業員の口座に送金する制度。

掲載号 / 週刊金融財政事情 2020年2月10日号

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