あなたは個人として何が好きですか?好きなことが多いほど、色々な意味での選択肢が多いと考えられます。昨今、Well-Beingというキーワードが取り沙汰されていますが、真の幸福感の原点は何か?は、この好奇心に左右されるのではないかと考えられます。
何事も未経験な子供にとって、見るモノすべてが興味の対象になることは必然的なことです。赤子は目に見えるモノ、触ることのできるモノなど手あたり次第に触り、時には口に入れてしまうこともあります。まさに無垢な心境であり、未知との遭遇と云える状況でもあります。
真っ白な心でもってどれだけの物事に向き合えるか?自分に合う、合わないという識別が成長と共にでき上がり、興味の対象が絞られていく形となります。
この興味の対象が絞られていくとは、裏を返せば自分自身の得意、不得意が自己においてわかってきていることにもなります。しかし、それ以外にも環境的な縛りも多いことも事実です。
本当は絵画の道に進みたいという気持ちはあったものの、家庭の事情、将来への不安など、障壁を乗り越えることができないという結論の元、遠ざかってしまうということもあり、好奇心(興味)の対象から知らぬ間に消えているということもあり得ます。
結果的に、成人になるまでの間に興味を持つ守備範囲が広い状態が培われた場合、物事を多面的に捉えられる力量が備わることともリンクします。物事を多面的に捉えるということは、ある事象を違う角度からも見ることができ、その違う角度の数が多ければ多いほど、自分なりの深い解釈が出来上がっていくことになります。私が過去より説いている、考え方の深さと大きく紐づいています。
また、好奇心は健康面から捉えても利点は多いことも事実です。ノンストレス、その結果免疫効果を上げ、好きなことを行なうことに疲れを覚えない、など健康の源にも繋がってきます。特にサラリーマンの定年後、何もやることが見つからず、一気に年を取ってしまったなどというケースはよく見られるケースです。仕事という興味が奪われた途端、やることが無くなってしまうことは、好奇心の源が奪われてしまうことの典型例になるでしょう。
さらに、好奇心は多趣味とも通じ、これは裏返すとあくなき追求です。自分自身の腕をさらに磨き上達を目指す、さらに新たな目標を立て、それに向かい日々研鑽する、年を取ってからもますます多様(多用)な人生を送ることができます。これこそ真の100年時代に相応しい生き方ではないでしょうか。
好奇心とは自分自身にとって何に価値があるか、自分はどういう性格であるかをきっちり見極めたうえに現れる気持ちのことです。自分の気持ちから偽りを持って生きていくと、好奇心を奪う真逆な人生を歩むことに繋がります。したがって、自分の気持ちに素直に生きる、このことが好奇心の源泉にもなると考えられます。
では、好奇心を持つための具体策とは何でしょうか。まず、自分にとって嫌なこと(価値に感じないこと)を列挙し、まずそれを明確に書き出してみることです。書き出すことで自分の意識により明確に定着させることができ、嫌なこと(価値に感じないこと)に敢えて向かわない人生を送ることができます。
その次に、自分の好きなこと(価値のあること)を書き出します。まるで七夕の短冊に願い事を書くかのように、どういう観点から書いても大丈夫です。好奇心の根源は自らの欲求です。自分の好きなこと(価値のあること)が明確になり、それを適切なタイミングで実行することで、願いが叶うケースが出てきています。
人生の中では、好奇心の有る状態とそうでない状態とでは、活力とその力量において、断然に次元が異なって結果が表れてきます。そのような状態の中においては、脳も活性化し、飲み込みも早く、結果として生産性が大きく上がるとも云えます。
好奇心を持つことによるリスク対策としては、健康面、生きがい、幸福感の充実の実現に裏打ちされるものと考えられます。逆に言うならば、負の要素を産み出さない源泉が好奇心とでもいえるかと考えますが、次なる時代のWell-beingリスク対策としては、好奇心の持続性となるのではないでしょうか。
株式会社シー・クレド
代表取締役 乙守 栄一