高校1年の時、数学Ⅰの授業で「軌跡」という単元を学んだ。点がある条件を満たしながら動くとき、その点が描く道筋を求めるという内容である。当時の私にとって、それは公式と計算手順を覚える対象であり、意味を深く咀嚼することなく通り過ぎてしまった概念だったように思われる。
例えば、平面上に点A(2,0)、点B(-2,0)があり、点P(x,y)が「PA+PB=6」を満たしながら動くとき、点Pの軌跡を求めよ、という問題がある。解答は、
x²/9+y²/5=1
で表される楕円である。二つの焦点からの距離の和が一定である点の集合が楕円になる、という数学的性質である。
この問題を学んでから40年ほどが経ち、今になって「軌跡」という言葉を、人生という文脈で思い出すに至った。自分自身はいったいどのような人生の軌跡を描いてきたのだろうか、という問いが、ふと心に浮かぶようになったのである。
人生を振り返るとき、私たちはつい結果や評価に目を向けがちである。成功したか、失敗したか、想定通りであったか。しかし、軌跡という視点に立つと、そうした評価よりも前に問うべきことがあるように思える。それは、「どのような条件のもとで、自分は動いてきたのか」という問いである。
数学の軌跡問題では、点Pは自由に動いているようでいて、実際には明確な制約条件の中に置かれている。PAとPBの和が6である、という条件があるからこそ、描かれる形は楕円に定まる。条件が変われば、軌跡は直線にもなり、円にもなり、あるいは全く別の形を取る。
人生も同様である。私たちは自由意思で選択してきたつもりでいながら、家庭環境、時代背景、組織、役割、責任、価値観といった、さまざまな条件の影響を受けながら動いてきた。その条件の積み重ねが、結果として一人ひとり固有の人生の軌跡を形づくっている。
重要なのは、過去の選択を正解・不正解で裁くことではない。どの条件を重視し、どの条件を無意識に受け入れてきたのかを静かに見つめ直すことである。そこには、自分が何を守ろうとし、何を避け、何に踏み出すことを恐れてきたのかが、必ず表れている。
言い換えれば、人生の軌跡とは、リスクにどう向き合ってきたかの履歴でもある。選ばなかった道、引き受けなかった責任、回避してきた不確実性もまた、人生の条件の一部であり、軌跡を規定する重要な要素である。
人は生まれるとき、一通の封書を与えられてこの世に出てくると言われる。その封書の中身は、若い頃には直感的に感じ取れていたはずだが、成長とともに次第に見えなくなっていく。社会の期待や評価基準に適応する過程で、本来の中身は奥深くにしまい込まれてしまうのかもしれない。
人生とは、その封書を少しずつ開封していくプロセスであり、その中身を明らかにしていくことが使命だとするならば、使命とは人生の方程式そのものだと言える。そしてその方程式には、必ずリスクが含まれている。使命とは、安全圏の中に閉じこもることではなく、どの不確実性を引き受けるかを含めて選び取るものだからである。
リスクを完全に排除した人生は存在しない。むしろ、どのリスクを過大に恐れ、どのリスクを過小評価してきたのかを振り返ることが、自分自身の価値観を浮かび上がらせる。人生の後半に差しかかる今、改めて問うべきなのは、「これからの人生で、どのリスクを条件として生きていくのか」という点なのかもしれない。
人生の軌跡は、まだ描き終わっていない。だからこそ今、自分自身の方程式を見直し、条件を問い直す意味がある。軌跡とは、点が動いた結果であると同時に、どの不確実性と共に生きることを選んできたかの記録である。そのことに気づいたとき、リスクは管理すべき対象ではなく、人生と誠実に向き合うための問いとして、静かに立ち現れてくるのではないだろうか。
株式会社シー・クレド
代表取締役 乙守 栄一