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  1. 普遍的リスク対策 乙守栄一
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第123回 杉本傳氏にみる、我が境地とそのベースとなるもの

私の母校である大阪府立茨木高校(旧制茨木中学)を舞台にした書籍『デンさんのプール:杉本傳~水泳ニッポンを作った男』(大野裕之氏〈同校OB〉著)を、親友から借り受け、一気に読み切った。
日本近代水泳発祥の地——そう聞けば誇らしくもあるが、正直なところ、創立90周年の記念行事で「そうらしい」と知った程度で、腹落ちして理解していたわけではなかった。

その中心人物が、杉本傳、通称「デンさん」である。
大阪梅田近郊に広大な土地を有する家に育ち、当時としては相当に恵まれた環境にあった人物だという。一方で、水を見れば思わず飛び込んでしまう——そんな衝動性とも言える逸話を持つ、茨木中学の体育教師でもあった。

茨木川から水を引き込み、生徒自らが土を担ぎ、汗を流して掘り上げた手作りのプール。日本にいち早くクロールを取り入れ、日本古来の泳法に固執する当時の水泳界とは一線を画し、茨木中学の選手たちはオリンピックをはじめとする大会で結果を出していく。
しかし、デンさんの本質は「勝つこと」ではない。そこで得られた知見を囲い込まず、常にオープンに共有し、教えを請う者を拒まない。「日本のため」という大義を掲げ、水泳協会の発展へとつなげていった。その後も、水球、飛び込み、女子水泳へと領域を拡張し、水泳界の裾野を押し広げ続けた。

競技の普及とは、単なる技術移転ではない。
人材が育つ土壌を耕し、挑戦の連鎖を生む「環境設計」である。今風に言えば、エコシステムの構築に近い。

思い返せば、私自身も「環境」によって進路を決めた一人である。
中学時代、大阪一の進学校である北野高校は、幼心にも憧れの存在だった。しかし当時は学区調整の影響もあり、勉学一本槍の校風に馴染めるのかという迷いがあった。そんな中で、恩師からかけられた「茨木は自由だ。きっと君に合う」という一言が、最終判断を後押しした。

結果として、その「自由」は、私の思考様式のベースになった気がしている。

前職NRIには18年在籍し、6年ごとに異動や出向を経験した。設計・開発、情報セキュリティ、ITコンサルティングと、分野は大きく変わったが、いずれも「仕組みを設計する」という一点でつながっている。12年前に独立し、6年前に法人化した今も、ITコンサルティングに加え、教育や新規事業という“裾野”を広げる活動を続けている。

ここに、デンさんとの静かな共通点を見る。
それは「裾野を広げる」という志向であり、その根底にあるのは「自由」である。

もっとも、両者の到達点には大きな隔たりがある。
多くを語らずとも人が集まるデンさんに対し、私は言葉を尽くしながら、なお道半ばで足掻いている。社会への貢献度という観点では、雲泥の差があると言わざるを得ない。自己満足の領域に留まっているのではないかという自省も、常につきまとう。

人はそれぞれ、役割と使命を背負って生まれてくる。その使命を探り、試行錯誤を重ね、その痕跡が積み重なっていく。それがカルマであり、人生という長期プロジェクトのログとも言える。

問題は、現代社会が「深いログ解析」を許さない構造になりつつある点だ。
フェイクを含む情報洪水の中で、人は大量のデータを高速処理することに追われ、思考の深度を犠牲にしている。評論家は「人は考えなくなった」と嘆くが、嘆くべきは個人ではなく、その構造設計そのものだろう。

構造が問題であるなら、構造で解くしかない。

本来の価値、すなわち自らの使命に気づくための“思考インフラ”を、意図的に設計し直す必要がある。私はいま、その構想に取り組んでいる。教育、技術、コミュニティを横断しながら、人がもう一度、自分自身のログと向き合える環境をつくりたい。

デンさんが水泳というフィールドで裾野を耕したように。
私は「思考」と「使命」というフィールドで、それを試みたい。

未来の日本に、再び静かな光が差し込むとすれば、その起点は、案外こうした地味な“環境設計”の積み重ねにあるのかもしれない。

株式会社シー・クレド
代表取締役 乙守 栄一

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