第8回 「“すべてオープンに”先達に学ぶ緊急広報」
『フジサンケイ広報フォーラム』会報
No.326 2014年 6月号 広報の目Vol.15
より転載
私事ながら、最近、工場現場での危機管理広報研修の講師を務める機会が増えた。環境汚染や火災・爆発事故など不測の事態が発生した際、メディア中心に情報開示をいかに行うかが主なテーマだ。
消防庁によれば、危険物施設からの火災・流出事故は1994年を境に全国で増加傾向に転じている。一方、施設数は減少しており、事故リスクの高まりが懸念される。人命に関わるだけに事故発生時の迅速・的確な対応は喫緊の課題である。
いきおい研修では具体例を参考に実践力を身につけたいとするむきが多い。その際、成功例でいつも取り上げるのが2002年3月12日夕刻に発生した旭化成延岡支社レオナ工場火災事故のケースだ。
“スピード感ある対応で情報の混乱や風評リスクを回避!”と危機を見事に乗り切った例として今も多くの示唆や教訓を与えてくれる。この時、同社広報室長として現地でのマスコミ対応などを東京本社から指揮したのが故山中塁さんだ。
伝説の広報マンとして名高い山中さん、早いもので来月七回忌を迎える。業界は違っても同じ広報担当として大いに刺激を受けた。当該クライシスの体験談も直接話を聞くことができ、筆者が後に直面する緊急時の広報対応で大変役に立った。
「2時間以内に会見をやれ」「誰が会見を?」「支社長に決まっているだろう」「発生原因などハッキリしないもの以外、あとは言え」、山中さんの指示は明快だ。「すべてオープンにして行動に現すことが必要」と熱く語っていた姿が目に浮かぶ。
圧巻は社長会見。日付が変わっても火は消えない。「社長に現地に行ってもらうしかない」と判断。急いで進言して、社長一番機で空路宮崎へ。午前11時半から現地で会見。迅速なトップの行動にマスコミも好感。わずか2日で報道が止んだ。
いずれにせよ、工場火災などの場合、会見や情報発信は現地からが基本。速さと情報量で勝るのはもちろん、地域社会と真摯に向き合う企業姿勢をアピールできる。そのためにも、平時から広報と現場の通気性を良くする努力は欠かせない。
執筆者:風間 眞一(かざま しんいち)
広報アドバイザー 1973年日本信販(現三菱UFJニコス)入社。
広報部長などを経て2009年退社。広報業務に18年携わる。07年
経済広報センター第23回企業広報功労・奨励賞受賞。
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