普遍的リスクマネジメント
乙守 栄一氏
ふと、何かを目にしたり、耳にしたりすると疑問が生じることがあります。こんなに天気が良かったのに、なぜ、急に雲が沸いてきたのか?某野球球団は昔、打棒を売りにしていたのに、ここ近年なぜ、打てなくなってしまったのだろうか?等々、皆さんも日々、数限りないwhyの連続に苛まれていることと思われます。
このwhyには実は際限のない奥深さと幅広さが存在しています。
何を奥深さ、幅広さというかについての明確な定義はありませんが、多次元にわたり拡がりがあるものと捉えていただきたいための表現です。
whyを一度で停めてしまうケースは日常の中でどの程度、存在するでしょうか?ある街中の道路沿いに街灯がなく、真っ暗な如何にも防犯上良くない場所があったとしましょう。何故、街灯を付けないのでしょう?そこから先の推測事由、1)自治体に予算がないから、2)犯罪がこれまで発生していないから、3)夜明るくて寝られなくなるという近隣の苦情があるから、4)自治会が機能していないから、5)その他。
この街灯のない道路を頻繁に利用するケースでない限り、whyは大抵の場合、一度キリで終わるケースが殆どでしょう。自分に影響がない限り、ヒトの思考回路は日常の一コマとなって過ぎていきます。やがてこのような疑問を抱いたことも記憶の果てに消えていくこととなります。
しかし、この街灯のない道路を頻繁に往来する人にとっては気になって仕方がない人もいるでしょう。ここに一つの問題意識が生まれるため、whyは一度で停めることなく、1)~5)のようにさらに奥深く、幅広く考えていくことになっていきます。1)は本当に自治体に予算がないの?なぜ、自治体に予算がないのだろうか?、・・・、2)なぜこれまで犯罪が発生していないと言えるのか?見過ごされている被害はないのか?警察に報告されていないだけではないのか?・・・、等々、湧き出すと次から次にバリエーションが増えていきます。
ただでさえ時間がない大人にとっては、一つひとつの疑問に真剣に向き合ってしまう心の余裕がないため、関心のないことにたいしては深くも考えずにやり過ごすことになってしまいます。一方、子供は何の束縛もないため、見るモノすべてが新鮮なため、何故何故を繰り返す、好奇心旺盛な姿を目にします。全く持って真逆の状態です。
この子供のころの好奇心を思い起こしながら、大人にもこのような探求心を取り戻したいという欲求も芽生えてくることも度々ですが、リスク対策においてもこのwhyを繰り返すことが重要になってきます。
why(なぜ)を「悩み」で終えてしまうか、「課題」と捉えて対策前進とするか、後者で捉える限り、考えるための布石として、リスク対策にも十分適用可能である、ということです。リスクをテイクする(受容する)ためには、想定するリスクをコントロール(調整)できなければなりません。そのコントロール(調整)できるか否か、自分なりに結論を出す手立て、これがwhy(なぜ)を繰り返す、という工程です。
日本では、経済成長率が鈍化していると同時に技術が著しく進化しています。事業の旬も短く、先も読めない時代の中、世情をタイムリーに見極めなければなりません。そのためにも、why(なぜ)の繰り返しを適材適所に当てはめ、自分なりのリスクコントロールを行なう必要があります。これが正解、という100%正しい答えはなかなか見つかりません。自分にとっての結果を7:3でOKとするのか、6:4でOKとするのか、自分なりの結論・方向性・判断基準を導き出し、7:3の「3」、6:4の「4」をリスクコントロールする、これがリスクマネジメントです。
「how(いかにして)にはなんとか答えられても、why(なぜ)には決して答えることができない」、ある生物学者は言います。それほど奥行き、幅広さのあるwhy(なぜ)。まるで目的(まと)を目指す指針であるかのようなwhy(なぜ)の繰り返し。研究者の醍醐味にも通じる世界観かもしれません。.
Why(なぜ)の先には新たな発見があり、アイディアの源泉が見つかる、そう考えることで子供のころのような好奇心に近いモノが幾分蘇るのかもしれませんね。