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第64回『現在の日本を取り巻く緊迫した国際情勢と戦後日本の本質』

千葉科学大学 危機管理学部教授 東祥三 著

司会・相馬

本日はありがとうございます。
テーマは、メルマガのコラムなので「リスク対策」という大きな題名がありますが、執筆していただく先生方には自由に書いていただいております。今回、東先生には時流というか、安全保障の面から朝鮮半島情勢の状況を先生の視点でお話しいただけたらと思っています。

また、RMCA会員は安全保障などについて、専門ではないビジネスマンが多いと思われるので、全体的な流れ、大きな枠みたいなところでお話願います。

実際には、米国のシリア空爆から始まり、この4月に入ってから国際情勢はかなり緊張した状況に入っていると思うのですが、日本にとっては、朝鮮半島情勢がかなり緊迫していて、ニュースなどでも頻繁に報道されていますが先生のお考えとして、今の国際情勢をご覧になってどうお考えになりますか。

東先生:

国際情勢と、日本の関わりという事ですね。基本的には戦後の体制の中で日本は国際秩序の枠組形成にどのように関わってきたのかという問題です。日本は戦後、1945年以降、僕が生まれる1951年サンフランシスコ平和条約が締結されて一年後に発効します。つまり再独立します。そして、1956年国際連合に加盟が許され、国際社会に復帰します。それ以降米国主導の国際秩序の構成員の優秀な一員として今日まできました。しかし、基本的には直接的な形で国際情勢の重要な変化に対して主要な役割を果たしてきたとは言い難い。つまり、国際情勢をうんぬんする能力、力を持っていないというのが僕の見方なんです。

最近、国際情勢の大きな枠組みを変更できるかのような錯覚を持ってきている方々が多いのではないかと思います。例えば、シリアに対する米国の巡行ミサイル攻撃についていろいろなことを言っている人がいますが、基本的には日本は政策決定者でもないし政策決定を司る情報を提供できるものを持っていないということをまず認識しておく必要があるのではないかと。

理想的、あるいは希望的な観測の形でこうあってほしいという方々があまりにも多いと僕は思います。古今東西を問わず、政治の要諦は国民の信頼の下で、国防と経済にあります。孔子が2500年前に述べていることですが、これは今日でもその通りだと思います。

そこで国防に関しては、日本は戦後吉田ドクトリンの名の下に軽武装で基本的に何かあればアメリカの庇護の元でということで今日まで来ている。小さな部分は横に置いといて大すじとしてはそうだったと思うんですよね。この基本線は今日も変わっていません。

つまり、米国への依存体質です。したがって、国防あるいは、世界で起こっている紛争問題に関しては、直接的な関与を控えようとし、火の粉が自国に飛んでこないようにするために必至にならざるを得ない。例えそれが自国の安全保障に関わる周辺地域の問題であったとしてもだ。国防の問題を真正面から捉えるのではなく、問題を希望的観測に基づいてあやふやにすることによって解決しようとする姿勢に表れます。それが、将来の日本の国防を一層危うくするにも関わらずだ。

このことは、後付けですが今日の北朝鮮の狂気とも言える行動に示されています。
1994年朝鮮半島における北朝鮮の濃縮ウラン、つまり核開発をやめさせるという時に軽水炉で手打ちにします。しかし北朝鮮は約束を守らず核開発、核ミサイル開発に20年以上にも渡ってつき進んで今日を迎えています。結局いろんな人達がいろんなことをいってきたけれども、基本的には希望的観測と幻想であったことが分かります。

そして現在、米国が、あるいは日本を含む他の国々が北朝鮮の核開発を真剣にやめさせるには究極のシナリオとして武力行使を覚悟しておかなければなりません。この覚悟ができるかどうかが今問われていると思います。
しかし、覚悟せよと言っても「ハイ、わかりました」というわけにはいかないと思います。何故ならば、この最悪なシナリオは、日本人が常に考えることすら忌避してきたことですから。

司会・相馬:

朝鮮半島情勢の話ですけども、日本人は先生のご著書にもありましたけど脳死状態でこういった国際情勢に関して考えてこなかったことがすごく大きいと思います。だからこういった現実に事が起こっている時に考える思考が止まってしまっている状態が長らく続いているというのもあるし、94年の軽水炉の利用の時は細川総理とクリントン大統領の時だと思いますけど、それから25年、あの時は結局騙されたわけですよね。本当に北朝鮮の核開発をアメリカがとかじゃなく日本は止めるつもりあるのかと。

それに関して国会議員や有識者たちが真剣に考えているのか疑問です。ちょっと戦争とか言う言葉が出た瞬間に思考停止になってしまって、いいとか悪いとかではなくて何も考えたくないというような状態が続いてきたという、どうしようもない状態になっているような気がしてならないんです。

そういった世界情勢の中で朝鮮半島が日本にとっては身近なのでお聞きしているわけですが、これは冷戦以降の秩序が大きく変わってきているためとも思えるのですが、先生はその辺の世界秩序の変化についてはどうお考えでしょうか?

東先生:

結論から言うと、歴史っていうのは一つの直線上で良い方向に行くのか、悪い方向に行くのか、そういうことじゃないんだろうと僕は思っています。

それは今日まで誰一人として第一次世界大戦や第二次世界大戦も、9.11も知らなかったわけですから。ということは、歴史が川の流れのように一つの方向に流れていくってわけじゃなくて突如としてジャンプしていくと。どっちに振れるのかどうなのか、これは誰もわからないことをみんな知っていたかのように後付けで講釈している状況ですよね。
それがたまたま日本の場合は71年間幸運なことに戦争に対峙することなく今日までこれたとみるのか?それとも今後とも日本なんかを攻撃してくるところなんかないのか?とみるかの違いですよね。

71年の間に大半の方々は今まで何にもなかったんだから今後ともないよねと。戦争を欲する人って基本的に誰もいないんですよ、一部の人を除いて。一番したくない人は直接対峙しなきゃいけない自衛隊の人たちでしょう。1954年にその前身ができて以来、一度も実弾打ったことないんですから。

でもそれが来るかもしれませんよ、という時代に入ったとみるのか?今までと変わらないとみるのか?それが、第一義的に問われなきゃならいないことなんじゃないですかね。

つまりEUができた、その前に国際連合ができた、そして国際社会全体が一つの方向を目指していく、89年に東西に作られていたベルリンの壁が崩れ、冷戦構造が崩壊した。その全体の動きはそうだと思うんですが、その時に日本で言われていたことは東アジア地域っていうのは決して冷戦構造は壊れていない、厳しいんだと。

みんな言葉で言っておきながらそのためにどんな準備をしてきたか、それがやっと昨年安保法制ができた、そういう話ですよね。だからブレグジットの話にしてもあるいはEUそのものの流れにしても、あるいはまた地域統合の話にしても今までの流れの延長線上にはないだろうなっていうのが僕の見方です。

司会・相馬

よく言われるパラダイムシフトみたいなイメージで連続的なものではなく、一段階上がるのか下がるのかわからない。要するにジャンプしている段階が変わっているんだっていう見方をしないときちっと現実を見られないということですよね。

東先生:

だからこれまでと同じ見方をしていけば日本の国はすべてアメリカに任しておけばいいんだという甘え、そこから抜け出すことはできないわけですよね。

そして最近ようやく自分の国はできるだけ自分で守らなくちゃいけないんだ、という当たり前のことを自覚し始めたと僕は思いたい。そして、アメリカも日本の良さを分かったっていうか、東アジアの国々が言っているような日本っていうのは好戦的な国なんだっていうのとは全然違うということが分かってきた。そして、もし北朝鮮が今後ミサイルを発射して、たとえ、誤射であったとしても、日本の領土領空領海、ここに着弾したときに日本は、まず自分達で自分の国を防衛する。

司会・相馬:

当たり前の話ですよね。

東先生:

当たり前の話でしょ。そういうことに対して日本の一部の人たちはきちっとそういうことを思っていると思う。しかし国民全体はどうなのでしょうか?政治の話だから、政治でかじ取りをする人にちゃんとついていけるかっていうのは国民意識の問題でしょう。そこまで到達しているか分かりません。
だってこれだけ逼迫しているにもかかわらず、国会審議を見ればこういう議論っていうのは全くされないで、なんか別の話になっていてそれは有権者も報道機関も全部そうだよね。政治も芸能もスポーツも同列だから。
だから日本は、全く違うところにいるんじゃないの、って言う感じがしないでもありません。

司会・相馬:

先生はまさに大学で学生に教えていらっしゃいますし、我々も、長年社会人教育的なことをやっているわけですけれども、たまに情けなくなることがありますよね。

我々もリスクマネジメントや危機管理なんていうことでやっているわけですけど、ほんとの意味で考えなければいけない時にいつまでたっても、国会ではああいう問題を延々と流しているわけだし、マスコミもずっと別のことを続けていると。

それから今回の北朝鮮の件を私も追っているわけですけど、アメリカさんどうしてくれるんですか?とか、アメリカはこう考えている、とか、要は日本語で言う主語が我が国はとか、日本はっていう人間がほとんどいないわけで、どこの国のニュースなんだって思うわけです。

東先生:

無責任な評論家なんですよ。彼岸の出来事だと思ってみんな話をしているんですよ。自分たちには関係ないと思っているんです。だから危機管理におけるリスクの話っていうのはね、簡単にいうとそれは蓋然性の問題です。戦争や大災害などは皮膚感覚で日本人はとらえられないんですよ。

僕の結論は日本人には無理だということなんです。抽象論はダメなんですよ、日本人は。

司会・相馬:

第1回学術会議で先生がお話になられたことをよく覚えているんですけど、日本人は起こった事象を抽象論として昇華して、検証して次に伝えていくということが苦手だと。結論、日本人にはできないんだということをお話しされていて本の中にもそのような話が出てきますよね。

東先生:

それをどうするのかって話なんだよ。いま議論しているのはほんとに自分たちの身になってみんな言ってるの?という話なんですよ。朝鮮半島情勢を論じる時でも。朝鮮半島で火が吹けば日本の被害は絶大なものになるんですよ。じゃあその時どうしたらいいのかって議論が全くないんですよ。不思議だよね。

司会・相馬:

日本学術会議での軍事研究に対する声明など見ていても情けなくなりますよね。

東先生:

例えば、トルストイの「戦争と平和」でいうところの平和の側面ばかりを見ていて戦争や危機管理の面を全く見ていないんですよ。

だから戦争学っていうのもないでしょ。学術会議にないんですよ、戦争学って、軍事学も日本だけ。危機管理学、これもないんですよ。第1回危機管理学会でも言いましたけど、科研費で文部科学省研究費の申請の中に危機管理学ってないんですよ。どこに位置づけられているんだと。

でも戦争にしても危機にしても、これは心理学にもかかってくるんですよ。それから行政学にもかかってきますよ。それから経済がないとダメだから経済学にもかかってきますよ。それから他の国がどう見るかという文化人類学にもかかってきますよ。そういうものはないんですよ。それをなしでよしとしている日本の頭脳って何っ?て話でしょ。おかしいんですよ。

司会・相馬:

本当に平和についての話しかでないですよね。特にマスメディアに載る大衆が見るようなメディアとか、いわゆる学術会もおっしゃる通りだと思いますし、本当に軍事・戦争側のことが何かこう、見たくないものを毛嫌いするような感じで、みんなもちろん見たくないし嫌なんですけども、こっちを知らないでなぜ抑止できるのかと。

根本的な部分をやってこなかった歴史があるので今回のような本当の意味で危機だとそれに対する真剣な議論ができないというかですね。

東先生:

どうするんですかと言う、自分たちが主体者としての議題があるんですよ。こういう風になっているのはどういうことなんですかと言うと、戦争と平和、危機と安全ばーんと分断されていて、表裏一体のことだとは考えないんですね。これは何でこういう発想になるんですかと言うとみんな平和ボケで済ますんですよ。

では、平和ボケって一体何ですかという話だよね。僕らが詰めなくっちゃいけない話なのは。これは多分軍事・戦争を議論する人を嫌だと思っている人達は、自分たちはどうするんですかと言う発想がないわけですよ。

本来、攻撃されたらどうするんですかと、という問いに対して私たちは攻撃されたらば一切反撃しませんということなのか。これは一つの考え方ですよ。
他方、僕は違うと、自分からは攻撃しないけども攻撃されるとなったならば、座して死を待つよりも娘達や家族が、あるいは自分が陵辱されない前に戦うという考え方です。

ではそういう詰めた議論をしてるかというと詰めてないんです。つまり、「平和」だけを唱える人は、攻撃されることを全く考えていない。これは、主張や意見ではなく、単なる願望です。神話です。どこが攻めてくるんですかという話になるんですよ。筑紫哲也じゃないけれどそういう人たちいっぱいいますよ。

司会・相馬:

この前の都知事選もそうですね。どこから来るんですかと言ってましたよね。

東先生:

ということは危機やリスクというものを分かりたくないということですかね。自分達は平和で、誰も攻撃なんかしてこない。これで思考停止です。これ以上何もありません。

次のような質問をしても、答えは返ってきません。万が一どこかが、誰かが攻撃してくれば、ガンジー主義で貫くんですかと?それだったらいいです、自分たちは武器を持ちません。そうなれば体でせめて行きますと、体でもって命をかけて攻めていきます、と言うんだったならば一つの主張ですよ。

でも、問われた人は攻撃されることを想定していません。根拠のない願望バイアスと言ってもよいかもしれません。

国会で反対質問っていうのは出来ませんから国防防衛に関する議論ができません。もし、どこかの国が攻撃してきたらどうするんですかと質問者に聞くことができません。質問者は、自分の意見、考えを問われないわけですから、ひたすら希望的観測、願望を込めて質問だけしていればいいのです。とてもおかしなことですよね。審議ではなく、一方的質疑が許されているからです。無責任です。

じゃあそういう議論っていうのはどこでしているのかということなんですが。それは防衛大学校ぐらいしかないでしょう。危機管理の議論として、徹底的なタブーを打ち破った形で本当に平和を手にしようとした時にどうしてもそういうことを議論しておかなきゃいけないでしょう。

その時自分達はどうするんですかと。3・11の時、原発の安全神話は崩れましたが、こういう本質的な問いかけが不問に付されたまま、また再び安全神話ができているのではないでしょうか。

司会・相馬:

先ほど先生がお話しになりましたけども、こういう議論自体を避けているし、一番嫌なのは前線にいる自衛隊の方々ですよね。

だから一番反戦は自衛隊の方々のはずじゃないですか。彼らを今一番危ない状態にさせているのは、シビリアンの状態であって、南スーダンから戻ってくることになりましたけども、本当に裸でいかせているような、こんな体たらくを、自分たちを守ってくれている人たちに対してこんな恥ずかしいやり方ってないなって思っていて、だから私は今の形のPKOは反対ですね。

死にに行ってくれって言っているようなものじゃないですか。もっときちっと鉄砲を撃てるようにしてあげなきゃいけないし、なんでこういう風になっちゃうのかなっていうのがあります。

東先生:

僕はできるだけ話すようにしています。非学術的にですけど。

司会・相馬:

予算がなかなかつかず、それこそ千葉科学大学だとか日大だとかようやくやりはじめたぐらいです。まず東大がやらないですし、東大では軍事を教えないですからね。そういう状態がずっと続いている中で彼らはそのまま霞ヶ関へ入っていくわけです。要するに日本のエリートたちは軍事を知らないということになるわけですよね。

東先生:

これは、認識論の問題なんだけど、僕らが知らなければならないことは、未知の未知、不可知の未知というものがあるということです。まず、私たちがよく知っている、既知の既知というのがある。これは例えば、自分が会社に行くのは分かっている。交通渋滞の時にはどこかを迂回していけばいいかもわかっている。あるいは卵焼きね。卵焼きをいつもやっている人にとって卵焼きはどうやって作るのかはわかっていると、これが既知の既知です。

既知の未知っていうものもある。これは、一般の人には分からないけれども、その道の専門家には分かっているものです。例えば、大型タンカーを作る。あるいはテレビを作るということです。

問題は未知の未知ってあるわけですよ。例えば子供の教育をどうしたらいいのかと、答えがないわけですよ。全部違うんです。人によって子供によって、これ難しい話ですよね。

さらに難しいのが不可知の未知。私たちに分からないことがたくさんあるんだと言うことを我々は知らないということです。このことを分かっていない人たちが多すぎるわけですよ。

例えば第1次世界大戦、第2次世界大戦、9・11,3・11がそうです。もっと身近な例でいえば、これからのアメリカの政策ってどうなりますかって、さもわかったかのように自分が意思決定権があるようにしゃべる人いっぱいいますよ。嘘つけって言ってんの僕は。

トランプさんって人はどういう人か分からなければトランプさんは何をするのかということは分からないはずです。でもそういう謙虚さをキチンと持っているいわゆる専門家も少ない。

「トランプさんのことはよく分からないんですが多分こういうことになるんでしょうか」とか。分からないならば、分からないんです。0は0でしょう。だから僕らが考えなければいけない危機管理の分野には、分からないことだらけです。

その中で火事ならば火事。あるいは津波なら津波。こそれぞれの分野で専門家っています。消防の分野でいえば、火の種類をこれまでの知識と経験で熟知している人はいます。しかし、全ての火災に対応できる訳ではない。未知の未知がある訳です。また津波の学者は、津波の構造については知見がある。しかし津波がきたらどうすればいいのか、多分「安全なところに逃げるしかない」というだけでしょう。

だから言いすぎかもしれませんが、でこぼこっていうか、いい加減なところでいい加減な状況になっちゃっているっていうのが今の状況だと思っています。熊本地震の時だってそうですよ。みんなヒューマンヒストリーだけなんです。

こういう言い方をすると誤解を招いてしまうのだけど、あれから一年、まだ被害を受けている人たちがいます。その人たちは想像を絶する日々を送っている。政府、自治体もできることは何でもやらなければならない。この面だけが強調されている。

しかしもう一方で、私たちが考え研究しなければならない問題があるのではないか。つまり、あの被害をもっと減少できなかったのかという問題です。翌日に大雨が降る。そして本災と言われるものが来る。そういう情報が事前に入ってきた時、その情報に基づいてどういうことが判断され行動に移されたのかという問題です。

こういう検証は、ほとんど行われていないのではないかと僕は類推しています。これは、僕自身の研究課題でもあります。例えば、自然災害の分野でいえば、第1次被害の後、気象庁から自治体の長、あるいは内閣府、あるいは危機管理監、あるいは総理大臣に、大雨が降りますよ、という情報がもたらされたならそれに対して第2次被害が予測される場所に住んでいる人々に避難勧告がなされたのか、あるいはなされなかったのかということです。判断・決断の検証問題といっていいかもしれません。

未知の未知、不可知の未知の問題を忌避しているんです。平和が続くと思っているんです。安全だと思っているんです。それだったら朝鮮半島の議論なんかしているのもナンセンスなんです。しかし私たちは、こういう議論を、研究をキチンとしなければならないということを彼らには言わなきゃいけないんです。何でですかと。

要するに危機というのは、危機事象と考えられることの蓋然性が低いのか高いのかっていう話です。低いと思っていても、そういうものが起きた時、日本としてどうしたらいいんですかということも考えちゃいけないんですかという話でしょ。そういうものを問いかけなきゃいけないですよね、学術会議に。

司会・相馬:

国会議員たちもそのような危機管理の部分が根幹なんだというのを理解してほしいです。なかなか票にならないと危機管理はいわれるじゃないですか。やっぱり先生方もそれを争点にして出すようなことがないという話がある。リスクマネジメントがまさにそうですが、企業の中でも後回しになる、予算がつかないという点で我々もこの考え方を広げるためにいろいろ工夫しなければいけないということがあるのですけど。

東先生:

先ほど相馬事務局長が言われていたPKOの問題に関して、僕もずっとそこに関わっていたんですけども、世界の国々が当然同じ目的を持って再び戦争にしてはいけないということでそれぞれの場所にみんな集まっているんです。

しかし言うまでもなく、そこには部族の違いやいままで互いに反目し合ってきた人たちが平和協定、あるいは停戦協定が結ばれたからすぐに仲良くやれるのかといえばそうはいかない。

同一民族、同一言語の私たち日本人にはなかなか理解できません。子供の時から戦争しか知らない人たちもたくさんいるんです。戦うことが仕事で、それ以外は何の訓練も受けていない人たちが突如としていわば失業しちゃうわけだから。もう一度武器を持って戦おうとしている人たちが出て来た時にそれを防いであげないといけないわけでしょう。

そこには危険が伴うのは当たり前ですが、しかし危険ですよと言った瞬間日本では、反対する人々はなぜそんな危険な所に派遣するのかという話になってしまいます。
したがって、いえ危険はありませんといわざるをえないよね。与党の答えは。

与党は多分分かっているんですよ。でもその時危険がありますってなった瞬間、別の議論になるわけですよ。だからわざわざ別に危険度は増しませんと、言っているわけでしょ。でも危険度が増してるわけですよ。

司会・相馬:

明らかにそうですね。

東先生:

だからちゃんとした本当の議論が行われないのかなと、真正面の。それに対してチャチャを入れてこられる場合はそんなチャチャを入れるなという当たり前の環境ができない限り与党も本当の事を喋れない。

だから相馬事務局長が別の意味で言っているんだけどそういう危ない部分があるなら出すべきではないという考えには一理あるわけですよ。でも出すべきではないと言って出さなければ日本というのは言っていることとやっていることにつじつまが合わない国として位置付けられることになります。

司会・相馬:

私もそういう意味で言ったのですけど、現実論から言えばPKOに日本が自衛隊を出さないということはもう成り立たないと。それに対しては国連加盟国として日本もそこに貢献するということは当たり前のようにやるべきことだと思います。行くのであれば危険な所に行きますと宣言してきちっと銃を持たせてやるという風にしなければ前線の自衛隊員、僕は可哀想だと言うのを感じます。その議論がなぜ国民の中でできないのかというのがあります。

東先生:

それはやろうとしないからですよ。やらなきゃいけないです。そして、国会においても与党から、野党の質疑に対してあなたは反対だけではなくてあなた自身どうするべきだと考えるのかという逆質問を許すべきだと思います。

あなたはどう思うんですかどうするんですかと国民の代表なんだから国会議員は自分はこう思いますと言わなければなりません。僕の本にも書いてあったと思うんですけども、安全保障法案が通過する前の法案を自分の考えを述べる前に有権者にこの法案についてどう思いますかと問いかけていました。

ふざけているわけですよ。自分はこの法案についてこう思います、と解説してあげないといけないわけですよ国会議員は。それについて皆さんどう思われますかと、こういう議論になってないわけですね。だから聞かれるほうも「あなたは自分たちが選んだ国会議員なんだから、どう思われますか」と私たちに問いかける前に、あなたの意見言いなさいと言わなければ���らないと思います。おかしな国会議員が増えてきちゃっているという話でもあるわけでしょ。

司会・相馬:

本当の意味で論議をはれる先生方が減っているのかもしれないですね。予算委員会で周辺地域が緊迫しているにも関わらず森友問題をやるぐらいですからどうしようもないということですね。

東先生:

日本の地震予測と同じように予測ってほとんど当たったことないんですよ。ということは現在から未来何が起こるか分からない不可知の未知なんですよ。じゃあそういう時にどういうことが起こるのかということを類推した上で準備をしておかなければいけないという話でしょう。じゃあ準備というのは何をやっているのですかと。やってないですよ。

ミサイルが飛来した時にそれを撃ち落とせるのかどうかも分からない。数発なら当たりますよとみんないっているけど本当なのかという話でしょう。じゃあそれが数十発きたらどうするのと。その時飛来して日本の領土に、ここでもいいですよ。銀座一丁目に着弾した時にどうすればいいのと。

私たちは何をすればいいのですかどこに逃げて行けばいいのですかと。こういうことすらも何も語られていないです。そもそもこういうことが起きると思っていない。だから準備も何もない。

司会・相馬:

安倍首相が出てきて軍事の話でもなんでもそうですけど少しずつ言えるようになってきているのかなーというのはありますけども、本質的には先生がおっしゃるようにまだまだ全然きちっとした議論がテレビでできるような状態ではないですし、そういうのを変えていかなければいけないのだろうと、いうふうに思っています。

東先生:

ある意味平和ボケで終わってしまっているんです。これは思考停止なんです。平和ボケから脱するには何が問題なのかという議論がないんでしょうね。平和ボケでみんな何となく納得してしまっている。それでいいんですかと?よくありませんよ。じゃあどうすればいいんですか?と

司会・相馬:

私は現状認識がまず間違っていると思っています。平和じゃないんです。日本という国は戦後平和ではなかったんです。原発の問題もそうです。原発はずっと安全だ安全だと言ってきたにもかかわらず、いきなり爆発したわけですからそれに対する対処はできなかったのに、今でも安全だと言ってもう一度やり始めようとしているわけで。原発は安全だということで 50年近くやってきたわけです。

東先生:

それも全く同じで一つは予防の段階で準備っていうのがあるわけです。限りなく安全に原発を運営しましょうと、もしこれが駄目だったらどうするのという、これがいわゆる対応なんですよ。ここがないんです全く。不思議だよね。

だから僕の本にも書いているように基本的にはもし限りなく安全な運営をしようとする原発にもし事故があったならばなんとしてでも生身の人間の命をかけても被害の拡大を防ぐという覚悟をしているかどうかという話なんですよ。決死隊ですよ。「K 19」で周知のようにロシアの潜水艦にしたってそうでしょう。人的投入をするんですよ。だからそれだけ覚悟をしているんですかと。

だからそれを安倍さんが、あるいは原発政策を推進しようとする人たちは今の状況を考えた時に政治的に原発を再稼働させないで自然エネルギーだけでは今の需要に、つまり現在の生活水準を維持していくために対応することはできません。

したがってここで原発を進めざるを得ません。しかし原発を進めるにあたって限りなく技術的に安全を担保しますが、もし万が一何らかの支障が出た場合は、どんな犠牲を払っても対処しますという覚悟が必要です。それがないから何がなんだかさっぱりわからない。だから賛成か反対かとこういう話になるんでしょう。だから大人の議論ができなくなる。それと同じですよ。

司会・相馬:

これは、話が大きくなってあれなんですけど、こういう状態というのはそれこそ先生が国会議員をされてた時代から議論はなかなか出来なかったのですか?

東先生:

できないんだけど、ぼくなんかは非力ながらやっていたわけです。「サムライ国会へ」に全部書いてあります。でもそれはほとんど取り上げてはくれない。「力」がなかったのですね。分かる人は分かってくれるんだけど。でもそれは相馬さんが言った通り、これはレッテルを貼られるわけです。このなんとも言えないものがあるわけです。言語空間が自由でない閉鎖されている。ゲットーみたいなものがあるわけです。

司会・相馬:

そうなんですね。現実的にこういう問題が出るとあたふたあたふたして動けなくなってしまうとか主体性がなくなってしまうというか、アメリカが何をするのかと言うことばかり見ていて。

東先生:

だからそんな国じゃなかったですよね日本は。現在、アメリカへの依存体質をできる限り脱しようとしています。これは僕は非常に評価しています。しかしまだまだです。独自の情報はほとんどないし経験もない。

71年間自衛隊は要するに「戦死」した者は一人もいないんだから。
NGOはあるよ。国連の職員はあるよ。僕の友人も殉職しているよ。

それは現場の最前線で戦っているわけだから色々巻き込まれますよ。だからといってすぐ撤退するのかと言うと撤退してない。ギリギリのところまで必死なんですよ。

ここで、日本の巻き込まれ論について一言申し上げたいと思います。
それは、「そこまですれば巻き込まれるからやめたほうがいい」という意見です。しかし、ちょっと考えればこれはおかしな無責任な主張です。だって、問題を真剣に解決しようとすれば巻き込まれるのは当たり前です。したがって、この意見の持ち主はその問題を傍観しているだけであって、解決しようとしているのではないと自ら語っているのではないでしょうか。

司会・相馬:

そういうところを見ても、なかなか今の状態は深刻だなというふうに思います。

東先生:

だから僕の信頼する人は責任回避じゃないけれども「東さん、身につまされるようなことが起きない限り無理なのだ」と言っているんだけど異常な説得力を覚えるわけです。
要するに自分自身の身に降りかからない限り「東さん、わかんないよ」と。

前にもどこかで話をした通り日本の報道は、3.11の本当の姿って見せないでしょ。報道しているのは人の姿が見えない津波の動きばかりです。でも日本の報道は、その津波に人が巻き込まれているっていう本当のことは見せません。それを見せると見ている人達にショックを与えてしまうだとか余計な事を心配しているわけでしょう。本当の事を見せてないわけですよね。

司会・相馬:

今回のシリアのサリンもCNNは映像を出しましたよね。それが国際社会の現実であって、だから日本という国は、今日最初に先生が言われましたけど国際社会の中である意味孤立しているのではないかと思います。

国家として相手にされていないと言うかプレイヤーではないと、今回の東アジア情勢を見てもプレイヤーは北朝鮮と中国とアメリカですよね。プレイヤーと言われる国はこの三国ですよね

東先生:

シリアに関してはEUとアラブの国々とロシアとアメリカです。

司会・相馬:

“場”でしかない、シアターでしかないというのがすごく強くあってそう考えるとさっき先生がおっしゃったようにもう国家の体をなしていないんじゃないか。日本国が何かっていうことを誰も考えていない。まあいいじゃんと。どこの国の何とか州になろうがまあ幸せに暮らしていければいいんじゃない。みたいな話の人間がほとんどですね。

東先生:

だから自力でだめならば、米国の51州目になるというのも1つの選択肢だけど、「お話し」で終わってしまう。現状維持、今のままでいれればいいという話でしょう。現状維持っていうのは衰退しかないです。現在北朝鮮には、まだ確認されてない日本人が四百数十名いるにもかかわらず、我々は本当にこの北朝鮮をなんとかしなくてはいけない考えているのか。

でもいざ何か起こった時に私たちは何もできない。日本人四百数十名いますから米国さん何とかしてくださいねって言う。ただそれだけです。それだけ。でもそれがまさに国の体っていう気がするんだけど国際社会って細かいことは別にすれば、前にも述べた通り基本的には軍事と経済なんですよ。

軍事っていうのは何かと言うとこれは政治なわけです。でも基本的に政治を動かすためには経済が必要だから。

司会・相馬:

ですからやっぱりさっきの話に戻るんですね。やっぱり結局平和しか考えてないという形になってきているのでどこかいびつですね。今回の件でもこういうことをきちっと知らしめようというメディアの存在もなかなかないですし、何が起こっているのかみんな分からなかったりそのような状態があるというのが私にとっては危機感を感じて先生のご意見を伺いたいと思ったわけです。

東先生:

リスクというのは蓋然性の話です。したがって危機はリスク、つまり蓋然性が高くなるという話です。リスクというのは蓋然性そのものなんですよ。じゃあその蓋然性ってどこにあるのかと言えば軍事的なもので20年以上に渡って北朝鮮は、軍事的なリスクを撒き散らしてきたんだけどそれを真正面から受け取っていない日本というのがあるということです。

なぜ受け取ってないかといえば、アメリカに頼っているからですよ。それはもう頼り切ってしまっているわけですよ。じゃあアメリカというのはいつまでもずっと日本のために親としていてくれるのか。

戦後独立して7歳の時からなんだから。幼稚園のスモックを着て7歳ならしょうがないよなと。私たちは、マッカーサー曰く12歳の人間ですよ。馬鹿にされているわけです。でもいつの間にかストックホルム症候群じゃないけれどもそこにガバッと懐いちゃっているわけですよ。

司会・相馬:

そういう感じですよね。戦後70年は。

東先生:

このままの状態での行きつく先は、類推であり推測であり、そうならないことを祈るけれども基本的に北朝鮮の核開発またはミサイル開発を今の段階で止めることができなければ最終的には開発された核を使わせないという領域に今度は入るわけですね。

その時に僕はもう別の本で書いてはいるんですけども基本的に核を保有している国、それも国際社会の秩序とは別の次元で考えている国、あるいは指導者がアメリカに対して、日本のことはほっといてくれ、日本に対してちょっかいを出せばあなた方も被害を受けることになると。日本抜きで日本の国益に関わるそういう契約が、ディールがなされてしまうかもしれないということです。

だから今のうちにきちっと対応しておかなければいけないと。
しかし日本は、基本的にはいいんじゃないのとなっちゃう。別に日本に打ち込んで来るんじゃないんだから許してあげたって構わないでしょと言う。だから武力行使を決断する時に邪魔する国は日本だと思いますよ僕は。予言しておきますよ。

当たらないことを祈りますが。

司会・相馬:

本当に今でも全然当事者になれないのに、もう核ができてしまったら当事者どころか単なる島でしかないという状況になりかねないですし核が打ち込まれるとか打ち込まれないとかではなく核を持たせることによって国際社会のなかで日本の発言力が著しく低下するということをみんな認識できないんでしょうかね。

東先生:

そうなんじゃないですか。世の中ずっと平和な社会に向かっているという幻想にあるわけですよ。

司会・相馬:

どうしてあんなに遠くにあるアメリカが、北朝鮮の核実験を必死になって止めにくるかと言うこれが理解できないということですのでかなり深刻ですよね。

東先生:

つまり自分たちの身に降りかからない限り理解できないんでしょう。だからシリアで化学兵器が使われていようがいまいが使われているとなると、まあひどいことをするのねといいますよ。
じゃあそういうものを使った国に対してどうするの制裁はと。自分たちに問われると、私たちには何もできませんよと言う話ですよ。やじうまですね要するに。

そういう風になっているということを自分たちは理解できない。しかしそういうことを言うことによって罪滅ぼしをしていると、こういう話じゃない。非常に嫌ですけどね、同じ日本人として。恥ずかしいけど。

司会・相馬:

その辺のところっていうのは、ずっと我々が戦後積み重ねられてきた教育なのかも含めてということに多分なるんでしょうけど、今日是非お聞きしたかったのは、GHQの問題がこの本にも書かれていて、やっぱりそういうことなんだなぁと感じながら読ませていただいたんですけれどもメディアの対応みたいなことに対してもそうですし、現在でも残っていると思うんですけども先生もそのようなお考えでいらっしゃいますか?

東先生:

だって偉人伝ってやらないじゃない。日本人の尊敬する人物は誰なのかと聞いても最近は名前が出てこないです。教えていないから。なんで皇居の前に楠木正成の像があるのかというのを知らないという先生方が多いんじゃないですか。だって教えられたこなかったから。

司会・相馬:

それをまず教えていないですよね。先生がおっしゃるところの脳死状態みたいな部分で日本人の気質がいくらよくてもこれだけ白痴化政策が進められていけばやっぱりこういう状態になっていくだろうなあというふうに今回もう一度先生の本を読み直して思いました。

東先生:

第二次世界大戦というのは日本にもう一つ大きな影響を与えています。いわゆるパージです。財閥解体それから戦犯問題で一流と言われる人たちがみんな公職から追放されています。

それがある意味で日本の第二次世界大戦後におけるドイツとは違う日本の明るさだっていう人がいるわけですよ。自分の先輩がはるかに優れているのだけれども自分が足を引っ張って引きずり降ろしたんじゃなくって日本政府とは関係ないアメリカの占領下のもとで自分の先輩たちがバーッといなくなっているわけですよ。

それで自分たちがこういう言い方をすると大変失礼かは分からないけども二流三流の人たちがトップになっているわけですよ。そういう人たちにとってみれば自分の頭になる人たちがいないんだから明るいわけだよ。

司会・相馬:

いわゆる戦勝国理論で新しい学問を作っていくことができるから当然先生のおっしゃる通りで、そういう教育の体系をそれはまさに東大を中心に動かしていくわけですね。当時20万人追放されたというんですから。

東先生:

故江藤淳先生が明らかにしてくださっている通り検閲でもそんじょそこらの検閲とは違うよ。徹底的に。例えば私書箱宛てのものを全部開封しているわけですよ。徹底しているわけですよ。それをGHQにチクってる日本人たちもいるんです。

わずか数人の方々は、数ヶ月いてこんな同胞を売るなんてできないと辞めますが、変な人間たちがいっぱいいるわけですよ。

そして先ほど述べたように一方においては社会そのものは明るくなった。

ドイツの暗さとは全然違う。吉田茂が良いのか悪いのかわからないけれども、結果としては日本が世界第2位になったんだから吉田茂の功績なのか?その後吉田茂は、まさか憲法をずっと変えないとは思っていなかったと言われているけど、そうなのかなと僕は思っています。

司会・相馬:

一言一句変えていないわけですからね。

東先生:

つまり自分で自分たちの国をどういう風にしたいのか?
司会・相馬:
私も危機管理をやって10年近くになりますけれども、憲法を読み直してますが日本語としてまずおかしいです。

東先生:

危機について何も書いてないから。

司会・相馬:

日本国憲法の中には危機管理の情報が一つもありません。

東先生:

それでも日本人はもともと山本七平さんいわく、憲法は伝家の宝刀になってしまっているわけだから変えようとしない。不思議です。僕にはまだまだ理解できません。

司会・相馬:

教えていないんですよね。

東先生:

だから緊急事態法っていうのもできない。つまり日本人は人間を完璧な存在として見ているじゃないですか。だからそれは民主主義を打ち倒す淵源にもなるかもしれないとは考えない。
ルソーがいっているんですが、私たちのこの民主政というものを維持していくためには人間は将来を予測はできないという謙虚さが必要ですよねと。だから、非常事態の対処にあたっては平時の法体制を停止させ、危機体制の法を施行できるようにすることが、民主主義を維持する方法だという趣旨のことを述べている。まさに炯眼ですね。

要するに、危機の時は素早く対応できなければならない。その判断力・決断力と実行力を有した人に全権を委任することが必要です。このことが現在問われている重要課題のひとつです。判断力、決断力を鍛えるにはどうすればいいのかということを、ずっと考えているのですけれども、これは僕の一生のテーマです。

その関連で「危機の裏にはチャンスがある」という欧米の言葉がある。これは、危機イコールチャンスという意味じゃない。たぶん危機の時、平時ではできなかった根本的な決断をすることによってその後の発展につなげることができるという意味でしょう。日本では感覚的にわからない言葉ですよね。

東芝でわかるでしょ。どんなにリスク管理とかコンプライアンスが大切だといっても、20万以上の職員が頑張っていたとしてもトップが腐っていればどうしようなくなるということですよね。

今、電通で問題になっていることは、電通だけの問題ではないと思います。
何を言いたいかというと、この非常時ともいうべき時にそれぞれのトップ経営者がどういう判断、決断をするかということが大切だということです。日本的感覚だと「今は災難の時で、頭を低くしてじっと我慢をしていれば嵐は通り過ぎる」ということじゃないのか、と疑いを僕は持っているということです。これは、決断とは程遠いところにあると考えます。

日産が危なくなった時にゴーンさんが出てきた。多くの経営評論家は何て言ったのたか。「非人間的」だとみんないっていましたよ。その時は僕はまだ現職だから知っているんですか労働組合の人たちもみんな同様のことを言っていました。でもゴーンさんの決断というのはすごかった。「危機の裏にはチャンスがある」ということはこういうことかと教えてもらった気がする。

日産を再生させるにはこれしか方法がないと決断して、それであっという間に起死回生の如く復活させて今まで働いていた人たちを再雇用しているじゃないですか。

日本人にはなかなかできないんじゃないかと思います。言葉では危機の裏にはチャンスがあるとみんな言います。しかし企業のトップの人たちにどうゆうことって僕が聞くとみんな口ごもります。ということは危機をチャンスに変えるためには、発想を変えないといけないわけでしょ。今までこうこうこういうものがあったんだから今までのやり方からさよならして新たな決断をしなければいけない。言うは安し行うは難しです。どうすればこの決断力を鍛えることができるのでしょうか。

司会・相馬:

それはさっきのパラダイムの言い方でいえば時間軸は一直線の延長線上ではなくてずれるんだと、ジャンプするんだと言う考え方も経営の刷新の場合には当然考えなければいけない。

東先生:

何にしたってそうでしょう。つまり地震にしたって断層で起こるんですよ。後はプレートでしょ。でも現実には地震学者にこれだけ金を投入しているにも関わらず戦後どれだけ断層のところに住宅地を作ってきたか、あるいはまた湖沼のところで土壌の悪い場所に沢山の住居が建てられてきた。僕が住んでいる江東区も埋め立て地域が大半ですよ。

司会・相馬:

今話題の・・・(豊洲)

東先生:

じゃあなんなのと、みんないい加減なんだよね。

司会・相馬:

企業経営みたいな所も当然こういった問題ってあると思うんですね。実際には論理的思考はできないじゃないかという結論に繋がっていってしまう。かといって日本人がこのままではいけないのでどうしていこうか、というのがある。会員の企業人に対しては何かありますか?

東先生:

企業の場合は保険だよね。そして日本の保険というのは日本独特でしょ。

司会・相馬:

保険というのは、いわゆる保険ですか?

東先生:

そうです。本来保険というのは掛け捨てに決まってるわけです。未来に対してこういうことが起きた時のためのリスクヘッジですよね。そのために保険料を払うんだから。しかし満期になった時、何もなくて良かったで終わるんですか。日本人は満期になった時にお金をもらう。この発想というのは日本人だけ。これは、平和ボケに通底するのかもしれません。それを日本の人間性・文化で見過ごしていいのっていう話なんだろうけれども。

国際問題を議論する時に、とても気になることがあります。それは、あなたがもしトップだったらどうするんだと言う覚悟でみんな喋っていないんですよ。自分が外務大臣、総理だったら私はこう言いますっていう、これは迫力があるんだけれどもキッシンジャーがうるさく言ってるのはそういう発想するから。だから説得力があるんですよね。

今でもそうだよね。余計なことを一切しゃべらない。自分が知っていることの万分のも一喋っていないんじゃない。怖いよね。こういう人には、なかなかお目にかかれません。

司会・相馬:

最後に何か言うんでしょうか?キッシンジャーさんは。何か最後に言ってこの世を去るんでしょうかね?

東先生:

ずっと言い続けている。結論だけね。僕も何度かお話ししたことがあるけれども、中露の関係というのは今後どうなると見てますかねと聞くと、彼が言うのは、3000キロ国境が接しているんだよと答える。平和なんかありえないじゃないですか、という結論だよね、すごいよ。うわべはともかくとして、仲良くするなんてありえないという本質論ですよね。

司会・相馬:

そこはきちっと非情な判断ですよね。彼らは国益のぶつかり合いの中で動くわけですね。

東先生:

情緒論じゃない。

司会・相馬:

先生がおっしゃる通り明治の政治家たちはそれをやったんだと思うんですよね。なぜ今の政治家たちや我々が出来ないのかというのは・・・

東先生:

だから1つは公職追放にあると僕は見ています。2つめはその後真剣に国のことを考える、国をどうすればいいかということを考え行動する政治家を育ててこなかったということです。3つめは、議員になる前に議員になって何を成し遂げたいのかということがなくて、議員になってしまっている人が多いじゃないか。これは、主権者である国民の責任だ。
安倍さんは、戦後生まれの中では出色だと僕は思います。それは親父さんの時から家系として国をどうしたらいいかという訓練を受けてきたと思うし、自分自身何をすべきかということを考え抜いてきた人だと思う。

政治家になるということは本当にすごいことなんだということになれば、小学校中学校から政治家になりたいという人たちが出てくると思います。今はほとんどいない。滅多に会えません。新人で立候補する人といえば、今ならばどこどこの政党であるならば当選できるかもわからないそういう人たちが出てきているわけでしょ。いいはずないです。

司会・相馬:

選ぶ側もなんだかよくわからないけれどと・・

東先生:

僕は有権者から見捨てられた立場だからあまり大きなことは言えないけれども政治家じゃなくて議員にはいつでもなれるという話だよ。

うちの大学には消防士、警察官、自衛官になりたいという学生さんたちがたくさんいる。そして彼らには、その道のプロの先生がいるから先生の言う通り勉強すればかならず合格すると言ってんの僕は。

そしてメンタルシミュレーションとしてそれぞれの志望を達成した後何をしたいのかということを考えておくことを強く述べています。

みんなビビっちゃうけれども、そういうことを言われて来てないわけですよ。後は要するに日本社会のリクルートの仕方ですよ、日本は、十把一絡げでとるから。あなた何できますか、でとらない。この職にはどういう能力を持っている人が必要だという形でリクルートしていないでしょ?

司会・相馬:

学歴一括採用ですよね。

東先生:

その通りです。

司会・相馬:

やっぱり東大をとったほうが確率論的にはいいんだろうという世界になるわけであって
東先生:
教えられたことをキチンと学び、それを習得することと、問題を解決することは、違う能力だと思うのです。前者は、平時に必要な能力。後者は、有事に発揮されるものです。

司会・相馬:

平時ですよね。それと言われたことを完璧にこなす能力は彼ら高いでしょうけれども、一歩外へ出れば弱肉強食だし相手を騙してなんぼの世界でみんな生きているなかでやるわけじゃないですか、だからこそやっぱりそういうところでもタフな人間を育てて行かないといけないんだろうなと思ってます。

そういう意識の中に危機管理とか軍事とか経済というのがあるはずだし今の大人たちはそこを理解しながら今回みたいな問題を考えないといけませんね。

東先生:

だから“兵”すなわち国防と経済というのは国が生まれて以来の永遠のテーマですよね。つまり政治の要諦なんですよ。何度も言うようですが、国の要諦は何かと言ったら国防と経済しかないんです。

司会・相馬:

本来軍隊というのは守るためのものですよね。だからポリスの時代からそうなのであって、そういうことを教えない限りはなぜこういう問題が大事なのかという発想自体が出てこないと思うんですよね。

東先生:

アメリカだって本心のところ自ら憲法を変えない日本って何なんだって思っている。そんなこと思うなよ、お前らが作ったんだろうと。結局のところ、アメリカはこれ程までとは思っていたかどうかは分からないけれど、日本を根無し草にするのは見事に成功した。

司会・相馬:

ものの見事に成功していますよね。
東先生:
でもそこに気がつかない日本はそれでよしとしてしまう。それは自覚症状のないパラサイトですよ。間違いなく子供をしつけない、子供には厳しい事を言えない厳しいことは誰かに言わせる。自分は良い人、良い親でありたいって。冗談じゃないよね。

司会・相馬:

本当に今回の件でもつくづくそう思いましたけど。

東先生:

大学では木村先生から聞いてるかもわかんないけれども、親がついてきてオープンキャンパスで親が喋っている。僕は、お母さんお父さんに「大学生になりたい人は誰ですか、お子さんでしょう。お子さんと会話させてください」と言います。

入学式でも両親がきます。入学式の前に1泊研修というのもやります。その時は学生さんだけですので学生に向かって喋るけれども、入学式の時は保護者が来た時に保護者に向かってしゃべりますよ。どういう事を学生に喋ったかというのを伝えると同時に大学時代にお子さん達に何を学んでもらいたいかを喋ります。

ところで仕事っていうのは自ら見つけるというより、養老孟司さんがうまいことを言っているけど社会が必要とする「あなぼこ」だと。社会における必要性 —あなぼこー が必ず出てくる。それを埋めることが仕事。その仕事ができるかどうかが最大の課題ですよね。

消防士になったとしても本当に消防活動ができるのか、消防車の手配をするのかわかりませんよ。だからどんなあなぼこに対しても埋められる自分を鍛えておかなければならないわけです。国会議員もその意味で同じです。

ただ、当選しなければ議員になれないわけだから当選することが始まりですが、当選した後、何をやるのかということを少なくとも考えた上で立候補してもらいたい。当選直後の議員に「何をするんですか」と聞けば「これから勉強します」ということだけは勘弁していただきたい。

だから昔は、政治家になる前に書生から修業した。裏方から社会の実相を見つけていくわけですよ。そしてトップはその書生の姿勢を見定めていたのでしょう。

司会・相馬:

一般人もそうですが、国家を語る人間がどういう学問をどういう哲学を持つべきか、軍事も含めて学ぶべきかというある意味ではエリート教育が今こそ必要ともいえるわけですね。
東先生:
エリート教育とは、自分が率先して命をかけて国を守ろうとするのか、いざという時に国民の生活を、つまり経済と国民の生存・命を守るかということを修得するのが、これがエリート教育ですよ。

でも戦後71年間これがないんないです。どうしようもないですよ。だからイギリスを見ればわかるんだけどもウィリアム王子が率先して軍隊で兵役に服するでしょう。イギリスのエリート教育の伝統が生きているんでしょうね。

司会・相馬:

そうですね前線に出るわけですもんね。

東先生:

すごいよ。第一次世界大戦の時にイギリスは戦意高揚のため、誇大宣伝 ー負けている戦いを勝ったというようなー をして、多くの若者の命を犠牲にした。日本の大本営みたいなことをやってきた。

それで第二次世界大戦の時に、従軍しようとする人間たちがいないわけですよ。そういう時に貴族たちが出て行くわけですよね。日本にはいないですねこういう人々は。

日本にあるのは、ブランド志向の学歴社会です。東大出身の中には本当に優秀な人もいるけど、そうでない人もたくさんいる。その違いは、自分は何ができて何ができない、あるいは何を知っていて、何を知らないかが分かっているかどうかだと思う。

僕は政治家になる前に国連で働いていた。僕の周囲にはハーバードのロースクール、オックスフォード、ケンブリッジ、MIT、スタンフォード、ソルボンヌ等出身の仲間がいた。彼らの凄さは、今起きている問題をどう整理し、どう解決に結び付けられるかという判断力と行動にあった。そして何もない時、つまり平時にはとにかく本を読み旅行し、遊んでいた。だからすごいんだよ。そして自分の頭でいつも考えている。

司会・相馬:

本当に日本は、この緊迫した情勢にもかかわらず問題山積という感じですが。本日は現在の日本を取り巻く情勢から教育問題までいろいろと東先生にお話しいただきました。ありがとうございました。

 

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