第12回 メンタルヘルス・リスク政策(2)
中小企業を含めてEAPの広範な普及を日本において一層推進するためには、いくつかの政策的な課題が存在する。
第一に、生産性向上効果の実証が無いことである。第二に、公平・公正な第三者評価機関がないことである。
上記を説明する前に、まずEAPについて概観しておく。
EAPとは、国際EAP協会やEAP学会の定義等によれば「生産性にかかわる問題に関して、職場組織を支援するプログラム」「業務に影響を与える可能性のある、個人的な問題(健康・結婚・家族・経済・アルコール・薬物・法律・感情・ストレスなど)を抱えて相談に訪れる従業員を支援して、諸問題の解決を手助け・支援するプログラム(カウンセリング活動)」であり、更に、経営コンサルティング、組織・人事コンサルティング、管理者や一般社員への研修・啓蒙、効果測定、適切な専門家、専門機関の紹介(リファー)なども重要な活動の一環として行われる。EAPは、厚生労働省が推奨する、4つのメンタルヘルスケアのうちの一つであり、重要な役割を果たすものである。
こうしたEAPの本質は以下のようにまとめられる。
第一に、従業員の生産性向上、組織の活性化など、経営面でのプラス効果を持つ。
第二に、カウンセリングのアウトソーシングが基本である。
第三に、医療・治療的な側面よりも健康な人を対象とした予防的なメンタルヘルスに重点を置く。
第四に、個人の秘密は厳守され、会社と個人の信頼関係の確立の上に運営される。
このうち、第一点の生産性向上効果だが、実際の生産性上昇効果(投資効果)として様々な報告がある。例えばGM北米社員44,000人(全社員の7%)にEAPを導入した例、Kennecott Copper Corporationの例、Scovill Manufacturing Companyの例、ユナイテッド航空やエクイタブル生命保険、マグダネル・ダクラス社、ポトマック・エレクトリック・パワー社の例など、アメリカでは様々な数字が報告されている。
こうした数字によって、EAP導入に伴う費用はコストではなく企業の生産性を向上させるための投資と見做すことができ、多くの企業への導入が進んだ。しかし、日本企業がEAPの導入を検討する際には、日本企業の実際の生産性向上効果の事例が欲しいと必ず考える。例えばではあるが、EAP導入を起案する際、福利厚生部門が窓口になると経営陣はコストとしてとらえ、人事企画部門が窓口になると生産性向上のための投資として捉える傾向があろう。投資として考えた場合は、企業風土が同じような身近な導入企業事例があればその投資効果を検討しやすい。
もちろん、EAPをメンタル対策に絞って捉えてしまうと、投資効果を考える前に、そもそも“メンタルリスクは定量化になじまない”という指摘も出てくる。ただしその場合でも、カウンセリングの面談率、メンタル休職者の平均休職期間、メンタル復職者の再発率、関連費用の推移等をEAP導入前と後とで比較し、「見える化」指標化することは可能である。
しかし導入検討企業にとって、ある程度の企業規模を有する企業で、たとえばEAP導入工場とそうでない工場とでの従業員の欠勤率の差異や退職率の差異、医療費用の差異、あるいは部門全体の生産性比較など、経年数値を得た上での明確な検証がなされていれば、例えばではあるが、「EAPを導入したら必ず生産性は向上するのか、費用対効果は適切に必ず生じるのか、職場の雰囲気は目に見えて必ず良くなるのか、営業成績は必ずあがるのか、医療関連費用は必ず減るのか、メンタル休職者は必ず減るのか。EAP導入以外の要因でたまたま結果が良くなっているのかもしれない。偶然か必然か定かでないものに費用をかけられない。メンタル対策なら、精神科の産業医にお願いした方が適切だ」という問いかけを受けたり、導入を見送ることも無いかもしれない。
民間のEAPプロバイダーが、ある企業に無料でEAPを提供する代わりに、導入部署とそうでない部署とを様々な統計数値及び分析をさせてください、という方法があるものの、持ちかけられた企業側は了承するかどうか。生産性向上、組織の活性化と同時に、メンタル対策としても重要な意義を持つEAPであるため、逆にメンタルリスク部分で何かあったらという躊躇が生じないか。医療分野で言えば、患者に対して「この新規療法を行うにあたって学問の発展のためにサンプル対象とさせてください」と本人の了解を得た上で経年調査が行われるが、それと同じような考え方として受け入れられるのか。ホーソン工場実験等とは違って、様々な論点が生じるかもしれない。
すると、いわば公的なプロジェクトとして、政策的に生産性向上効果の実証を行う形を考えられないだろうか。企業に手をあげていただくよう、政策的な後押し、社会実験としての意義付けなどが必要であろう。 (続く) |