第18回 ヒューマンエラー対応とリスク政策
ヒューマンエラーとは,事故やトラブルを引き起こす「人間の失敗」のことである。特に,機械やコンピューターなどと人間が一緒に動いているシステムの中で,人間がなんらかのミスをしてしまうことによって,システム全体の正常な機能や働きを阻害してしまうことを指す。今回は,このようなヒューマンエラーに関する事柄について述べる。
現代ほど,ヒューマンエラーが社会的な関心を持たれている時代はいまだかつて無い。その理由のひとつは科学技術の進歩である。機械やコンピューターが高度化した結果,昔は問題にならなかった軽微な失敗が非常に大きな被害につながってしまう事態もまた起こるようになった。また,社会全体において安全ということに対してかってないくらい関心が高まっていることも挙げられる。現代社会は人類史上かつてないほど安全な社会であることは間違いないが,社会が安全になればなるほど,人間はますます安全を希求し安心を得ようとするものであり,安全を脅かす対象としてヒューマンエラーへの関心が向けられている。
人間がどんなに努力をしてもミスを絶対に無くすことはありえない。そのため,ヒューマンエラー対策としては,システムの使い方や情報表現などの面でエラーが発生しにくくなるような工夫をしたり,ミスが発生しても深刻な事態を起こさず軽微な障害で済むようにシステムを構築したりすることなどが行われている。それでも人為的要因によって重大な事故につながってしまうような事態は起こるのであり,交通や医療の領域などが中心かと思うが,人為的ミスが原因だとされる事件・事故のニュース報道は年間に何件もなされている。
ヒューマンエラーを原因とする事故が起こると,その直接的原因となった当事者の責任をどう追求するかがしばしば問題となる。また,近年ではエラーを発生させたシステムそのものに問題があると考える考え方も普及しており,2005年に発生したJR西日本福知山線脱線事故では,歴代社長3名が責任者として安全対策上取るべき責任を果たさなかったとして起訴されている。しかしヒューマンエラー対策という観点から考えると,司法の手によって当事者や責任者の責任追及を厳しく行うことは,むしろマイナスが多いとの考え方がある。人間の行動や安全マネジメントにある程度のリスクがあることは避けようがないことであり,それが原因で司法当局から厳罰が下されるような状況になると,自己防衛に関心が向きやすくなり,報告意欲低下や情報隠蔽,挑戦心の欠如などにつながりやすく,悪影響を及ぼしやすいとされている。もちろん当事者や責任者の責任をある程度追求することは必要であるが,それよりも情報を隠さず引き出して対策に生かすことがより重要である。
高度で複雑なシステムの中で起きたトラブルは,様々な視点から複数の説明があり得るものであり,ある視点からみたものが正しいという種類のものではなく,責任を明確に定義することはほとんど不可能である。最終的に引き金となった個人の責任をあげつらうのではなく,複数の視点からの説明を総合的に検討し,対策を多角的に進められるように,社会や組織のシステムを構築することこそが重要だと言えるだろう。
参考資料
シドニー・デッカー「ヒューマンエラーは裁けるか」東京大学出版会 2009
芳賀繁「絵で見る 失敗の仕組み」日本能率協会マネジメントセンター 2009
中谷内一也「安全,でも安心できない」ちくま新書 2008
ジェームズ リーズン「組織事故」日科技連出版社 1999
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