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千葉科学大学 千葉科学大学 危機管理学部 教職課程教授 上北 彰 著
「教育は百年の計(国家百年の大計)」 我が国では、よく「教育は百年の計(国家百年の大計)」と言われることがあるが、戦後の国際化、情報化による社会の変化は目まぐるしいものがあり、今日ではもっと短い期間で教育の結果が問われるようになっているのではないか。戦後間もない1947年に施行された教育政策の根幹を担う教育基本法も、59年後の2006年に大幅に改訂されることになった。また、学校現場に大きな影響を与える学習指導要領の場合は、ほぼ10年ごとに見直されることになっているが、1970年代になって、それまでの知育偏重によって生じたさまざまな問題の解決策として、「ゆとり」重視の教育への転換計画がすすめられ、その結果1998年に改訂となった。2002年から「週5日制」「総合的な学習の時間」の導入等を目玉とし、いわゆる「ゆとり教育」が実質的に開始したのは周知のとおりである。これは非常に大きな教育政策の転換であったと言えるであろう。ところが2004年にOECDの学力調査での日本の点数の低下が発表されたのを契機に、早くもこの「ゆとり教育」が見直しを迫られることになった。その後「ゆとり教育」の問題点を十分検証しない(少なくとも筆者にはそう見えた)まま、前述の教育基本法の改訂にともなって、2008年に学習指導要領が全面改訂され、結局10年で「ゆとり教育」の終焉を迎えたのである。 このように近年では教育問題が社会的に大きな話題となるたびに、十分なリスク評価をしないまま教育改革案が浮上し、従来の制度を組み直すという方策を取らず、新たな制度を加算的に設けるといった政策が繰り返されてきたように思える。教育政策の変遷はもはや、「教育は百年の計」どころか「十年の計」以下になってしまったかのように見える。現場の教員たちはころころ変わる国の教育政策に、ただでさえ忙しいのに、教育への取り組み方の変更を迫られ、困惑しているというのが現状であろう。この流れの中で、新たに免許状更新講習が導入され、教師は10年ごとに免許の更新が義務づけられるようになり、さらに教員の生活にプレッシャーがかかることになったのである。 明治5年の「学制」の発布以降、我が国は近代国家の仲間入りを果たすべく、富国強兵・殖産興業政策を進めていくために、「教育勅語」を基盤として、国のリスク政策の中核に「教育」をおいていた。冒頭の「国家百年の大計」は、「教育」が国の将来を決める最重要課題であることを表しているのである。まさに国の危機管理を当時の「教育」が担っていたわけである。しかしその結果が太平洋戦争という皮肉な結果に終わったというのは言いすぎであろうか。そしてこの敗戦は「教育」という危機管理(リスク政策)に失敗したということを示しているのだろうか。 戦後は国の復興を目指す上で、民主主義を普及させることが我が国の急務であり、アメリカ合衆国の協力(?)のもとにあらためて国策として「教育」に力を入れ、その後の経済成長に目覚ましい成果を上げ、瞬く間にいわゆる先進国の仲間入りを果たすまでになった。これは「教育」という危機管理(リスク政策)に成功したということなのだろうか。しかしこの結果が、戦前のリスク政策の失敗についての十分な検証によって導かれたものではないということ、そしてその後も今日まで、絶えず教育政策の変更が繰り返されてきたということを考えると、成功という評価を与えることに躊躇せざるを得ないのである。 とはいえ「教育」は、歴史的成否は別として、国の危機管理政策の中でも非常に重要な位置を占めてきたように見える。しかし度重なる教育改革にもかかわらず、「教育」が「よく」なっているという実感は得られないのはなぜだろうか。これはリスク政策の問題以前に、「教育とは何か」を問わずに進められた哲学のない「政治」に起因しているのではないか。そこで次に「教育とは何か」という問題を提起し、かつ「教育」と国の「政治」(リスク政策)との関係はどうあるべきかについて考えてみたい。