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千葉科学大学 危機管理学部 動物・環境システム学科 教授 小川信行
震災では、死者・不明者とともに多数の負傷者が発生する。このような負傷者を大幅に減らすことができれば、救出、治療に要するマンパワーを軽減するとともに、無傷のマンパワーが事業継続などの担い手となり、震災復興に大変資することになる。津波、火災を別とすれば、負傷者の多くが、建物とその内部の被害で発生する。このような屋内被害はまた重要施設の震災時における機能維持の面からも重要である。今回は地震による屋内被害についての課題を考えてみたい。
下図(左)は最近の震災(大震災を除く)での負傷者と死者・不明者数の比較である。これらの震災では負傷者数は死者・行方不明者数の20倍から1000倍程度に達している。揺れの特に激しかった2004新潟県中越地震での負傷者の発生が顕著である。東京消防庁のアンケート調査によれば、これら7つの地震での負傷者発生原因のほぼ半数は屋内被害(家具転倒、落下等)によるものである。一方、大震災の場合は下図(右)のように、状況が異なる。負傷者数/死者・不明者数の割合は、関東大震災で約1/1、阪神淡路大震災でほぼ7/1、東京湾北部地震災害(中央防災会議による予測)で20/1となっているが、特に今回の東日本大震災では、死者・不明19332人に対し負傷者は5890人(平成23年12月22日現在、警察庁による)であり、負傷者は死者・不明者の1/3程度となっている。1896年の明治三陸地震の場合もほぼ同様である。大津波や大火災を伴う震災では、逃げ延びれば無傷、津波や火災に捕まればほぼ助からないという択一的傾向が顕著である。このような大震災でも屋内被害などで負傷すれば、逃げ延びること自体が困難になることを考慮しておく必要がある。 地震による屋内被害は、人的被害に関わるだけでなく、発災後の危機管理や救援・救済にも重要なことであるが、いくつかの課題が明らかにされている。例えば、負傷者治療の主役となる病院については、(独)防災科学技術研究所がE-ディフェンス(http://www.bosai.go.jp/hyogo/)を用いて行った振動実験(「首都直下地震防災・減災特別プロジェクト」の一環)で、医療機器等の転倒・落下などの被害が顕著に発生し、未対策では病院機能の維持が困難になる恐れが明らかにされた。また長周期地震動を伴う巨大地震の場合は、免震構造の病院でも屋内が散乱状態になることが示された。 このため、特に家庭やオフィス、重要公共施設での屋内被害をなくすことが課題であるが、実際には老朽家屋の耐震補強同様、あまり進んでいない。東京消防庁が行った調査によれば、転倒・落下防止対策などを行わない理由は、「1.倒れても危険でない、2.転倒・落下しないと思う、3.費用が掛かる、4.壁に傷をつける、5.効果がないと思う」などとなっている。オフィスや工場と家庭では多少状況が異なると思われるが、煎じ詰めれば「①危険度の認識不足、②費用対効果が信用できない」ということになろう。①については近年、映像機器の普及により、津波や火災による被害の進展状況は記録に残され、その映像は大きな啓蒙的役割も果たしている。しかし、建物の倒壊や屋内被害は、その過程が記録に残されることはほとんどなく、映像などによる危険度の認識、啓蒙の手段はきわめて少ない。近年ようやく実大実験などの成果が啓蒙としても活用されるようになってきた。例えば、急速に増えてきた高層建物について、防災科学技術研究所と兵庫県の共同実験で、かつては安全とされていた高層ビルの屋内環境が、未対策ではきわめて危険な状況になること、他方、簡単な対策でも一定の有効な効果を発揮することが明らかにされている。このような啓蒙が一層進展することが望まれる。 一方、②については、危険度の認識があれば、費用については理解が得られるであろうが、問題はその効果であろう。世の中には耐震グッズに類する商品はそれなりに存在し、一定の役割を果たしているが、その品質は多くの場合、売っている側の宣伝だけであり、しかも使い方は末端ユーザに任されており、対策の効果はきわめて不透明、不均一となる。このような状況を改善するためには、ハード面で費用対効果の高い商品の開発とあわせ、その使い方、適用法に習熟した技術者による対策の実施が望まれる。同時に、屋内地震対策に関わる技術、施工を含めた基準あるいは指針などを整備し、一定以上の効果が期待できる基盤を整える必要がある。 まずは公的機関や業界団体などが、屋内被害軽減対策に積極的に取組み、それを契機に地震対策を開発・実施する専門家集団を安全分野のビジネスとして育成することが望ましい。また、建築基準法の体系で守られている建物と異なり、屋内安全対策についてはほとんど公的基準に類するものがない現在、地震対策ビジネスが拠り所としてできる指針、ルールを整備することも公的機関などの大きな役割と思われる。このような地震対策ビジネスの進展は、同時に啓蒙的な役割も果たすものと思われる。指針などの整備については、東京消防庁を中心とする取組みのほか、兵庫県を中心とする自治体の協力が進んでいるが、次の大地震も懸念される中、このような取組が一層進展するよう期待するものである。
執筆者:小川 信行 (おがわ のぶゆき) 千葉科学大学 危機管理学部 動物・環境システム学科 教授 東京大学工学部卒。工学博士。 (独)防災科学技術研究所において地震工学、耐震実験法などの研究に従事。 2005年4月、千葉科学大学に移籍、現在に至る。 屋内環境の地震安全対策に関する実験研究を行っている。