第53回 「危機と破局」
危機を危機として認識しないと、それは破局に向かうことになる。この数か月日本社会の中に、種々異様な危機的な現象が起きている。
たとえば、(1)新幹線の中での同乗者を巻き込んだ自殺問題。(2)2020年の東京オリンピックに向けた新国立競技場建設に関わる責任者ふざうぃ問題。(3)日本の経済を代表する老舗企業の有価証券虚偽記載の問題。(4)日本を取り囲む安全保障環境の変化を踏まえた日本の外交防衛議論を阻む憲法解釈論争。
1.についての報道に接した人々の中で私が興味深く思った反応は、「自殺をするのであれば、他人を巻き込まないでほしい」という率直な意見だ。他方、新幹線という公共交通機関の中にガソリンを持ち込み、それを自分にふりかけ火をつけることによって、他人に被害を及ぼすことを防ぐことに関して、当局者すなわちJR東海、そしてその所管である国土交通省からすぐさま“再発防止策”の検討云々なる発表があった。
さすがに新幹線の改札で利用者一人一人の荷物点検というところまでには至っていないが、こういうことが頻発すればそこまでいくかもしれない。当分の間、監視員の増員が行われ、次の段階ではプライバシー保護の問題もはらみつつ、監視カメラの常備の必要性が論じられることになるだろう。
しかし、私のこの問題に対する最大の論点は、上記のことではなく、この事件に遭遇した人々が何らかの行動をとることによって自殺を防ぐことができなかったのか、ということにある。
もちろん、その時の状況が詳しく明らかにされていないので、必ずしも何かできたに違いないという前提で主張しているわけではない。自分の周囲にはどのような危険が潜んでいるかわからない。その危険性が具体化したとき、どうすればよいかと、まず自分自身に問いかけることが重要だということを主張している。
その意味で、逃げることだけがこの種の問題の解ではないだろう、という指摘だ。
危機管理は、行政、周囲、他人に任せれば事足りるということではない。危機管理を強化していくには、まずは現場の個々人からの自律的な発想が必要である。
今回の新幹線の事件は、日本人自身の危機管理における典型的な弱点を露呈した最近の参考例として特記しておく必要性を私は感じる。
2.の新国立競技場の問題は一言で表せば無責任体制を象徴する事件だ(その後、同種のエンブレム問題が生じた)。従来日本は“突貫工事”の名選手と言われ続けてきた。つまり明確な目標が期限があり、それに向かって責任者と予算と中身がはっきりしていれば、どの国と競争してもまず間違いなく完璧に仕事をやり遂げる国として、自他ともに認証されてきた。しかし今回の問題は、日本国として鳴物入りで世界の祭典である2020年のオリンピックを招致したにもかかわらず、この無責任な姿を世界に晒すことになった。
目標年次が5年先のこの時点で問題の本質「無責任体制」が明らかになったことは、あとから考えれば笑い話で済ますことができれば幸いである。しかし、そうできるかどうかは疑わしいと言わざるを得ない。競技場の責任者はオリンピック担当大臣に改めて明確になったがオリンピック全体の総合的な責任者は、まだ誰なのかもよくわからない。
特に危機管理の観点からすれば、これはきわめて重要だ。世界的なオリンピック選手団のみならず、それぞれの関係各国の代表団、VIP、世界から見物に来る観光客が参集する一大イベントである。
危機管理の視点から、ありとあらゆる脅威を想定した危機管理の体制の構築が何よりも必要である。
3の東芝スキャンダルは、他企業に先駆けて東芝がリスク管理・コーポレートガバナンスの手法・方法を取り入れていたにも関わらずそれが全く役に立たないということを例示しているのではないかという疑問を投げかけた。疑問というよりどうしようもない決定的な例になってしまったのではないか。企業を支え.る人々が日々の経営活動におけるリスク、つまり決定的な危機に注意を向けていても、その最高責任者がさらに、監査法人が、あるいは社外取締役が腐っていれば何も役に立たないということだ。
実際、危機が生じても、その危機を招来させた一部の責任者達を罷免しただけで幕引きになるとすれば、この問題の本質的な解決にはならないだろう。なぜならば、この問題が世間的に発覚しなければ、事態は何も変わらず続いていたということだ。
したがって問題は、企業のトップ達の思考・行動力そのものが危機を発現させたということだ。ということは、東芝内に「おかしいじゃないか、なんとかしなければ」と思っていた人々がいても、その意見が黙殺されてきたということだろう。監査法人や社外取締役は本来そういう時、威力を発揮するというはずだったが、それが機能しない以上、この企業には危機管理が全く存在しないことが明白になった。どうすればよいのだろうか。
そう簡単ではないと思うが、一日も早く私は“このどうすればよいのだろうか”という認識を持つことから再出発すべきだと思う。
関係者にとっては地獄かもしれないが一日本人としてかなりの感情移入が入っていることをお許しいただいて言わせて頂きたい。東芝は日本を代表する大企業であり従業員20万人以上を抱え多くの下請け・関連企業の従業員もいる。設立140年以上の歴史を有する日本企業の老舗中の老舗であるその東芝が今日のスキャンダルを起こしていたのである。
ぜひ、この危機を契機に企業におけるこれが企業の危機管理体制だ、というものを示していただきたいと思う。
4.については、日本の危機管理意識の低さを如実に表す例である。これは日本人の習性、とりわけ戦後の日本人の習性、くせと言い切ってもよいかもしれない。
まだ、日本には政治家・官僚、マスコミを含め外交・安全保障、特に防衛・軍事という言葉を聞くだけで思考停止状態になる人々が一定数存在する。
戦後どれだけ同じ現象を見てきたことか。自衛隊を創立するとき、日本安保条約改正の時、国連平和維持活動関連法案を通過させるとき等がそれだ。なぜこうなるのか?
結論から言えば、自立した国ではないからだ。自立した国とは、自分の国は自分で守るということが大前提だ。そのためにどうするのかと考える。自国の力では足らず、他国の力を借りる同盟が必要と考えることもできる。自国が平和を望んでも他国が攻撃してきたときどうするのか、反撃するのか、あるいは降伏するのか、この基本的な質問に対して日本では、まだそれなりの有識者であってもどこの国が日本を攻撃してくるのか、そんな国はない、という答えが返ってくる。
もしかしてという抽象論そのものを拒否する姿がここに見えてえくる。世界の歴史が教えてくれることは自分たちが平和を望めば、その平和が確保されるということではない。
いくら強く平和を望んでも、他国の意思と力によってその平和が破壊された国々がたくさんあるではないか。攻撃してくる国にとって、その対象国が魅力的であり、反撃されるの能力が低く自国の犠牲が最小限に抑えられるとすれば攻撃される可能性が大である。だからありとあらゆる知恵を駆使して防衛戦略を構築する必要がある。このことを国会で国民の前で、マスコミの中で与野党の国会議員が真正面から論じてこなかったことに最大の理由があると私は思っている。
憲法に違反するかしないかの議論の前に、日本を取り囲む安全保障環境がどのように変化しているかという情報収集と情勢分析を踏まえ日本の安全保障に潜在的な危機をもたらすかもしれない国と日本、あるいは日米を合計した軍事バランスを比較し日本をどのように守るかということを全国会議員に考えてもらいたい。
そしてその結果現行の憲法解釈あるいは憲法で対応できなければ、解釈を変更あるいは憲法改正をすればよい話だ。
誤解を恐れずに言えば、憲法があるから日本の平和を守ることができるのではない。
日本人として日本の平和、世界の平和を守るために基本的に何をするのかという原理を明確にし、それを憲法に盛り込むことが明確に求められている。
著者:東 祥三 氏
衆議院議員(5期)、内閣府副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、
外務政務次官、衆議院石炭対策特別委員長、衆議院経済産業委員長、
衆議院
安全保障委員長、国民の生活が第一幹事長(初代)等を歴任した。
◆所属・職名
千葉科学大学 危機管理学部 危機管理システム学科 教授
◆学歴
1983年3月 創価大学大学院 経済学研究科
国際経済学専攻 博士課程 単位取得後満期退学
◆学位
国際経済学修士 (創価大学 1978年3月)
◆専門分野
外交・安全保障、国際関係論、国家危機管理
◆主な担当科目
◯ 学部
日本経済論、経済政策総論、世界から見た日本の文化
◆主な論文・著書等
◯ 著書
•単著「イグアナに舌づつみ」((有)論創社、1995)
•単著「サムライ国家へ!」(株)PHP研究所、2004)
•単著「日本ただいま脳死状態―されど望みは捨てず」 (株)高木書房、2007)
◆その他
•月刊誌2本、新聞多数、TV出演
•講義可能テーマ:日本の政治、
世界の中の日本、日本の危機管理体制の弱点、
日本の外交・安全保障、難民支援、国際関係論 等
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